この間は子供が訪ねて来て大へんに失礼しました。私の住居はあんな粗末なところでございますから、ほんとうにお気の毒に思いました。でも大そうさばけた子供で、是非私の住居を見たいと申しますから、内部へ案内しますと、「大分僕たちとは勝手が違う」と言って、しきりにあたりを見まわしていました………。
 私は別にお宮に住みたいと思ったわけではないのですが、どういうものかお宮ということになってしまいました。こんなことは自分の一存だけではいかないところがあるのです………。
 あの子の服装は、この前会った時とはすっかり変わっているので、びっくりいたしました。あれが只今の時代の服装なのですね。なかなか大きな男でございますね・・・・・・。
 それからあなたもご存じのあの裏の山へ案内して、そこでいろいろと物語りをしました。その時子供は、こんな面白いことを申しました。「この山はたいへんよい景色ではあるが、しかし現界の山とはどこやら気分が違う。達者な時に随分山登りもやったが、この山で感じるような気持にはただの一度もならなかった。ここに立っていると、自然と気がしーんと沈んでしまう………。」そう言ってたいへん感心しているのです。やはり私が修行するように出来ている山なのですから、あんな陽気な気分の子供には寂しくて仕方がないのでございましょうね。とにかく幽界へ来てからは、めいめい自分に適した境涯に落ちつくよりほかにいたし方がないものと思われます。
 それから、私はあの子の幼少の時代からのことをいろいろと訊ねました。あなた方には別に珍らしくも何ともない事柄でございましょうが、私には非常に興味の深い物語でした。かいつまんで筋道だけを申しますと、あの子の申したことは大体こういうようなことでございます。――

 「僕は幼少の時から身体が丈夫で、かなりいたずら坊主でもあった。こんなことをいうと他人が笑うかもしれないが、勉強もよく出来た方で、大へんに父母にも可愛がられた。僕も一生懸命に勉強し、次第に上級の学校に入り、二十二歳の時に長崎の高商を卒業した。守護霊さんとは時代がちがうからおわかりになるまいが、卒業後には直ちに会社というものに入った。しばらくしてから、その会社から遠方へやられ、そこで亡くなった。立派な人になろうと思って大いに気張って働いたものだが、思いもかけない病気のためにこんなことになり、両親にも気の毒でたまらない………。」

 こんな話をしているうちにだんだん悲しそうな様子が見えましたから、これはいけないと気づきまして、私は早速話題を変えました。――

 問「あなたは只今遠い所へやられたと言われましたが、それは何という所ですか?」
 答「大連という所です。」
 問「その大連という所はどんな所です?」
 答「大へんに賑やかな立派な街で、家屋なども内地よりはかえって上等で。」
 問「そこであなたはどんな仕事をしていたのですか?」
 答「むろん会社の仕事をしていました。そこでも大へん皆さんから可愛がられ、僕は非常にそこの勤めが好きでした。また僕はいろいろのことに趣味が多いので、どこへ行っても退屈ということを知りませんでした。中でも僕が好きなのは、音楽と絵画で、大連で描いた絵などもかなり沢山あります………。」

 よい按配にこんな話をしている中に、子供は再び元の快活な状態に戻りました。もともとあの子は陽気な性格なのでございますね。あんな陽気な子が、むざむざと若死したというのは、ほんとうに可愛想だと思います………。
 でも若死したので、それがこちらで奮発する種になるのでございます。「このまま空しく引込んでしまうのはあまりに残念だ。これから懸命に修行して幽明交通の途を開き、大いに父を助けてみ国のために尽くそう………。」口には出しませんが、あの子の思いつめていることはよく私にも感じられます。これから後も、私は努めてあの子と会うことにいたしましょう………。

 この日新樹の母の守護霊が私に物語ったところは、だいたい上のとおりでした。うれしいのは.両者の間に、次第に母子の関係らしい、親しみの情が加わりつつあることで、私としては、そうした傾向を今後一層助長させたく切望している次第であります。