天神さまこと菅原道真公をお祀りしている神社には必ずといっていい程、牛の像がお祀りされています。これはお稲荷さんならキツネ、八幡さまなら鳩、春日さんなら鹿というのと同じで、天神さまなら牛がお使いの動物といわれる為です。

 なぜ牛なのかというと、道真公は丑年のお生まれであり、伝説では丑の月の丑の日の丑の刻のお生まれであった為であるとか、道真公がお亡くなりになられた際に、棺を運ぶ牛がお墓の予定地までの途中で突然立ち止まり、押しても引いても動かぬ為、天神様が「この場所に葬ってくれ」と牛にお伝えになられたのだと理解して埋葬された由縁から、牛はお使いの動物として扱われるようになったといわれています。

 また、別の説では、雷の神さまとしても慕われる天神様の御神徳に由来して、農耕神としての性格から牛がお使いの動物であると言われたりと様々な説があります。

 しかし、古来から牛さんにお願いをすると天神さまに「○○はこのようなお願い事をお祈りしています。どうか願いを叶えて差し上げて下さい」とお伝えするといわれ、牛さんの為の涎掛けを作ってかけて差し上げると大変喜ばれるといわれています。

 

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「菅原道真」といえば、日本人なら誰もが知っている歴史上の人物。平安時代の京都で学者でありながら「右大臣」という朝廷でナンバー2の役職まで昇進し、よい政治をした。しかし、そのことを妬む人もいて陰謀により左遷される。そうして追いやられて来た場所こそが太宰府。その暮らしは貧しく、痩せること鶴の足のごとし。太宰府に来てわずか2年後、道真は59歳で亡くなってしまう。

道真は弟子に遺言を残していた。「思うところあって、遺骨は京都に返さないでほしい」その言葉にしたがって、道真の亡骸は牛車に乗せて運ばれた。が、途中で牛が座り込んでしまい、押しても引いても動かない。「きっと“この場所がよい”とお告げなのだろう」そう考えた弟子は牛がうずくまった場所にお墓を建てた。その場所こそ、現在の太宰府天満宮の本殿があるところ。

 

菅原道真の亡骸は京都に返されず、この地で葬られた。当時としては異例のことなのだが、道真はなぜそれを望んだのだろう。

ある人は言う。道真は忠義に厚い人。天皇の命によって太宰府に送られたのだから、たとえ無実でも天皇のお許しがない限り、京都に帰ることは許されない。そのような正義を貫いたのではないか、と。

またある人は言う。「思うところ」としたところが菅原道真の人間味なのではないか。「あいつのせいでこんな目にあった」と誰かのせいにせず、「思うところ」と、あえて具体的に言わなかった。そのことが道真の正義であり、思いやりであったのかもしれない。