(潁川郡)陽城県の人である趙広信は「魏末」に長江を渡って(会稽郡)剡県の小白山に入り、李法成の服氣法を学び、左慈に師事して守玄中之道を学び、70年~80年を経て丹薬「九華丹」を完成させると345年(東晋の時)に昇仙しました。

広信はおそらく字。(ちなみに広州・蒼梧郡の県と同名)
陽城は左慈に縁のある華北の土地。左慈の噂でも聞いていたのでしょうか?
剡県の小白山には錬丹を行った遺構が「趙仙湖」の名で残っていたという話もあります。この小白山は今で言う西白山らしく、剡県の西側の地域ですね。

 

また、左慈の弟子には、朱孺子というものもいる。

 

朱孺子、三国時永嘉安固人、幼師道士王玄真、居大若岩、深慕仙道、時採黄精服餌、歴十余年、嘗於渓畔見二花犬、逐之、入枸杞叢下、与玄真共掘其処、得二枸杞根、形状即如花犬、堅若石、乃煮之三昼夜、孺子試取汁飲之、即覚身軽能飛、昇於前峰之上与玄真謝別乗雲而去、至今号其峰為童子峰玄真後食其余、亦得不死、乃隠于岩西陶山採樵者或見之。