左慈は、『神仙伝』などによると天柱山で『九丹金液仙経』を授かって道術に覚醒し、最後は霍山にて昇仙しました。天柱山も霍山も五岳の一つの南岳に当時は分類され、左慈の故郷である廬江にあった名山でした。故郷の名山に始まり、故郷の名山に終わりました。

      

また、左慈は華北に居た時は五岳の一つの中岳・嵩山に縁がありました。直接ここに居た話がある他、嵩山由来の道書を伝授を伝授された話もあります。葛玄の伝説では、天台山・赤城山・上虞山を巡っていた時に左慈に師事したとあります。これらは当時の会稽郡の北部にありました。当時の会稽郡の領域は長い海岸線に囲まれた広い山岳地帯であり、後に道教で重要視された霊山もありました。全土レベルで由緒ある五岳には及びませんが、江南においては様々な道士や神仙が住まう場所です。

『真誥』の第十四巻には345年に東晋で昇仙した者達が複数出てきますが、彼らが居たのがそのような揚州の名山です。
・廬江の潜山の鄭景世・張重華
・括蒼山の平仲節
・剡の小白山の趙広信(左慈の弟子)
・狼五山の虞翁生(介象の弟子、呉の時に入山)
・赤水山の朱孺子(呉末に入山)
ここには左慈の故郷の山、左慈の弟子、呉の道士など左慈に縁のありそうな場所や人が出てきます。括蒼山もその一つ。『真誥』は左慈・葛玄師弟を道士や神仙として不十分な者として扱っており、東晋に入っても完全に昇仙せずに葛玄はまだ長山や蓋竹山におり、左慈は小括山にいて茅山にも度々来ているとしています。この小括山が括蒼山です。