毘沙門天は、元々暗黒界に住する夜叉鬼神の長とされ、毘沙門天(クベーラ)が仏教に帰依したことにより、悪鬼羅刹夜叉などの類も仏教に帰依する形となった。元々悪鬼であった夜叉等は、善神として毘沙門天やその他の神々と共に祀られるようになった。その配下に属する夜叉は5000とも云われ、その頂点に立つのが八大夜叉大将である。常に毘沙門天の指示に随い、祈願する者を守護すると云われるが故に、守護八大夜叉神とも称される。

 

宝賢夜叉(ほうけんやしゃ)
満賢夜叉(まんけんやしゃ)
散支夜叉(さんしやしゃ)
衆徳夜叉(しゅうとくやしゃ)
応念夜叉(おうねんやしゃ)
大満夜叉(だいまんやしゃ)
無比力夜叉(むひりきやしゃ)
密厳夜叉(みつごんやしゃ)

 

宝賢夜叉はサンスクリット語でマニバドラ・ヤクシャと言い、夜叉王クベーラに次ぐ地位を持ちます。満賢夜叉はサンスクリット語でプールナバドラと言い、ヒンドゥー教ではクベーラに仕える夜叉です。散支夜叉はサンスクリット語でパーンチカと言い、妻は鬼子母神でハーリーティーと言います。衆徳夜叉はサンスクリット語でシャタギリと言い、クベーラに仕えます。応念夜叉はサンスクリット語でヘーマヴァタと言い、クベーラに仕えます。大満夜叉はサンスクリット語でヴィシャーカーと言い、クベーラに仕えます。無比力夜叉はサンスクリット語でアータヴァカと言い、クベーラに仕えます。大元帥明王と同体。密厳夜叉はサンスクリット語でパンチャラと言い、クベーラに仕えます。

 

『ラーマーヤナ』において、マニバドラはラークシャサ(羅刹)の王ラーヴァナが夜叉たちの拠点カイラス山へ攻めてきたとき、クベーラ直属の夜叉軍のリーダーとして四千の兵を率いてラークシャサの軍隊を打ち破ったという。「仏母大孔雀明王経」では兄マニバドラ、弟プールナバドラとされている。ジャイナ教ではマニバドラ・プールナバドラはヤクシャの主として「2人のインドラ」と記述されている。プールナバドラは主にガンダーラ地方において信仰された。

 

【原始仏典によるヘーマヴァタ夜叉】

かくのごとく、ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕「何にたいし、世〔の人々〕は生起したのですか。何にたいし、〔世の人々は〕親愛〔の情〕(愛着の思い)を為すのですか。何に、世〔の人々〕は執取して、何について、世〔の人々〕は打ちのめされるのですか」〔と〕。

かくのごとく、世尊は〔答えた〕
「ヘーマヴァタよ、六つのもの(色・声・香・味・触・法)にたいし、世〔の人々〕は生起しました。六つのものにたいし、〔世の人々は〕親愛〔の情〕を為します。まさしく、六つのものに、〔世の人々は〕執取して、六つのものについて、世〔の人々〕は打ちのめされます」〔と〕。

 

【大元帥明王】

大元帥明王は、仏教(特に密教)における尊格である明王の一つ。なお、真言密教においては「帥」の字は発音せず「たいげんみょうおう」と読み、また太元明王と記すこともある。大元帥明王は、古代インド神話に登場する非アーリアンの鬼神アータヴァカ(Āṭavaka)に由来し、「荒野鬼神大将」と漢訳される。直訳すると「林に住む者」、「林の主」の意味となる。 毘沙門天の眷属である八大夜叉大将の一尊に数えられ、無比力夜叉、阿吒縛迦夜叉大将、阿吒縛迦鬼神元帥とも呼ばれる。このようなアータヴァカは、インド神話において弱者を襲って喰らう悪鬼神とされたが、密教においては大日如来の功徳により善神へと変じ、その慰撫しがたい大いなる力は国家をも守護する護法の力へと転化させ、明王の総帥となった。 大元帥明王は大元帥の名が示すとおり、明王の最高尊である不動明王に匹敵する霊験を有するとされ、一説には「全ての明王の総帥であることから大元帥の名を冠する」と言われる。日本への伝来は、小栗栖の常暁によって請来されたという。常暁は栖霊寺・文祭から太元法を受けて、諸尊像や経軌を書写して持ち帰り、840年(承和7年)に法琳寺に安置されて以降、宮中で修法されるようになった。大元帥明王は国土を護り敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われ、「必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として宮中では古くから大元帥明王の秘法(大元帥法)が盛んに厳修されてきた。 なお、軍組織における大元帥や元帥の呼称は、この大元帥明王からきているという説もある。

 

【説話】

恨みを抱いたまま不遇の死を遂げたある将軍が、臨終に際して、夜叉となって転生し、都城内の男女をすべて食べるという誓願を起こした。そして、実際、その死後に病死者が続出したため、人々は一人ずつ人身御供を夜叉に捧げるようにした。順番が来てある長者の家で、生まれたばかりの子どもが捧げられることになった。嘆き悲しむ妻を夫は慰め、愛児を夜叉に捧げるために林の中に送り、長者夫妻は髙楼に上って、一心に子どもの無事を祈った。仏眼によってこのことを知った釈尊は、ただちに夜叉のところに赴き、法を説いて浄心を生せしめ、仏教に帰依させた。そして釈尊の手によって長者夫妻のもとに、無事赤ん坊は送り返された。