ある晩遅く、10時30分頃に私はある素晴らしい日本人の生徒と小さな船に乗りました。ボートの船頭に500ルピーを渡し、川の向こう岸で降ろしてもらいました。船は帰っていきました。後で戻ってきて、私たちを拾ってくれる手はずでした。しかし、待っても待っても来ません。私たちは素晴らしい瞑想を終え、岩山から下りてきました。ある人物がそこで超自然の行をしていました。古代から伝わる方法を忠実に守った、厳密に科学的な作業です。彼は宇宙エネルギーに繋がり、それを逃さぬ様にバランスを保ちながらパワーを受け取っていました。彼は大いなる平安に包まれて行じていました。私はそばに行き、眺めていました。私には関係ない事なので彼の邪魔をしてはいけなかったのですが、私は少々クレージーなところがあります。だからそこに留まり、彼を見つめていました。幸いなことに船頭はなかなか戻って来ません。その人物はエネルギーを吸収し、エンジェルと話しをしました。私はそれを目撃しました。話しながら、彼は涙を流していました。そこへ私の生徒が「スワミ」と言いながら近付いて来ました。「向こうへ行きなさい」と私は言いました。「スワミ、話がしたいのです」「静かに。向こうへ行ってなさい。邪魔をするんじゃない」「どうしたんですか?私が何か悪い事をしましたか?」その生徒はまるでハエのように私につきまといました。
「黙って。早く向こうに行きなさい。さぁ、行って」と言いながら、私は彼にエンジェルと会話をしている男を示しました。しかしその生徒には何も見えず、何も感じられませんでした。生徒は去って行きました。ビデオカメラを持っていたので、それを扱うのに忙しかったのです。そのとき先ほどの人物が行を終え、その場を立ち去ろうとしました。「君は幸運な人だ。会話ができたね、そうだろう?」と私は言いました。すると彼は逆上したトラのように私に面と向かい、エゴイズムまるだしにして「誰だ、お前は」と言ってきました。そして次の瞬間、電撃的に理解したのです!「どうしてその事を知っているんですか?どうして会話をしていたことがわかったんです? あなたは誰です?どうして分かったんですか?会話を聞いていたんですか?」「そう」と私は答えて、彼に尋ねました。「私にその行を教えてくれないかね?」すると彼は言いました。「私をもて遊ばないでください」もて遊ばないで、というのはこういう意味です。つまり、「あなたがその行を知っている事は確実だ。でなければ、何故今起きた事がわかる?」という意味です。「お願いですから、私の邪魔をしないでください。本当に本当のお願いです。あなたがパワフルな人でも、あるいはそうでなくても、どちらでもいいけど」、と彼は言いました。「お願いです」と彼は泣きながら懇願しました。全身を髭と汚れた毛髪と汚い衣服が覆っていました。まるで物乞いのようでしたが外国人、西洋人でした。「お願いします。私の人生に入りこんで邪魔をしないでください。本当にお願いです。私に手助けてしてくれる為に来たのなら、それは有難いです。しかし私の行の邪魔だけはしないでください。本当に、本当に、心からのお願いです」そう必死で懇願したのです。まるで妻から引き離される夫のように泣きじゃくっていました。彼はたった今、新しい世界に足を踏み入れたのです。それまでは普通の人間でした。それから超自然の世界に入った。あの瞬間に、彼は超自然な物事の世界に入り込んだのです。もう完全に新しい人間です。彼は真新しくなり、そこで得たものを失いたくなかったから、必死で懇願したのです。「心配しないで大丈夫」と私は言いました。そこへ私の生徒が興味津々で話を聞きに来ました。「あっちへ行きなさい。何も言わないで。向こうへ行きなさい」「どうなさったんですか?私はその話を聞いてはいけないのですか?」「いいから、行きなさい」私はその西洋人と45分ほど話をしました。それから少し手伝い、2、3のチャンネルを教えました。「これをして、あれをして、それからこうしなさい。そうすれば獲得できます」そして訊ねました。「あなたはもう何年ぐらい、この行をしていたんですか?」すると彼は言いました。「この場所、この岩山ではもう4年半ほどになります。その前は3年間サンスクリットを勉強しました。そして1800年前の、古代の行の修法(フォーミュラ)を発見しました。それからずっとそれを行じていました。内面的には多くの経験をしました。でも、実際にこの目で直接見てみたかったんです。それが私の願いであり、強い意志でした。今それがかないました。しかし、私はこの先へ進みたい。どうか助けてください」彼が欲しがっていたものを、私は与えました。ハンピではこういった人たちをたくさん見ることができます。一見、彼らは食べ物を要求するただの汚い乞食です。しかし食料を得れば彼らはそこを離れ、座って瞑想をするのです。彼らの人生は、内なる経験をしただけでは決して満たされません。それではダメなのです。彼らは直接その目で現実(真理)を見たいのです。そのとき始めて満たされた人生になるのです。「よし、これで願いが叶ったぞ。勝利した」と。