ある人問うて曰く「先生のおかげで、平日の煩悶は漸く減じましたが、まだ真実太神の実在せらるることを感得することはできません。私の頑愚なことは承知しておりますが、どうか教えていただきたい」。
  先生曰く「人間をはじめこの宇宙間のあらゆるものはみなその身の体内に宝珠を持っておる。これはその根本魂たる直霊(最高潜在意識)であって、神と同質のものである。それでどんな人でも神を思うの思想を有し――平素は思わなくとも歓喜の絶頂、悲哀のどん底、生死の巷に立てば必ず念う――この心の奥の奥の直霊を透して神を拝するものである。人に貴賤賢愚、学不学の差別はあっても、この直霊を持たぬものはない。君も朝夕に拝神し、怠らずたゆまず振魂をしておれば、自然心の中なる直霊を開発して、太神を拝することが出来る」

 

またある人問うて曰く「先生の仰るように神様を拝むとかまたは神様を感得するなどということは、必竟一場の妄念妄想ではありませんか」先生厳然容を正して曰く「君は今君自身がどこから来てどこに向かって去りゆくかを知るか。憐れむべし。ただ母体を出て、墓場に向かって去るを知るくらいであろう。しかもその形骸的君の身体が、現によくものを思想し、言語を発しているのは何故であるか。太神は常に君の前にも現われておられるが、ただ君自身が自ら眼を閉じて拝まないままである。もし霊覚を開き直霊眼をもってすれば、明々白々これを拝み得るのである。君自身がすでに神の分身分体ではないか。君はまだよく自己の心意さえ見るあたわず、どうして神を拝むことができよう」

 

ある日一人の無神論を標ぼうする客が来て、雄弁滔々と先生を詰った。「およそ世の中に、神と宇宙ほど厄介なものはない。神や宇宙があればこそ、人間万有も出来、従って貴賤貧富があり、栄枯盛衰があり、生病老死がある。もし神と宇宙がなければこんな世知辛い人生に生まれて来る不幸もなかろうに、思えば神と宇宙が恨めしい。こんな恨みある神に向かって何の感謝が起きようか」と。先生微笑をもらし曰く「神や宇宙、あったって何の妨げもないではないか」「いや大いにある。生老病死、大いに人間に妨害だ」先生曰く「そうか。しからば何の遠慮もない。君の力で神と宇宙を叩き壊せ。君の意のままに除き去れ。それが出来なければやはり宇宙に服従せよ」無神論者は返す言葉もなくして逃げ去った。