平安前期~中期の文人・紀長谷雄の詩序「白箸翁」に記された白箸翁は、貞観末期(西暦870年代)に平安京の市中で白箸を行商していた人物であるとされる。この翁は、出身も名も不明で、冬も夏も同じ黒い服を着て、樹木のように生気なく、歩くさまは浮雲のようであった。髪は雪白で、人に年をきかれると、いつも七十と答える。しかし、市楼の下で占いをしている八十くらいの老人の話では、彼が子供の時分にすでに白箸翁は今と同じくらいの老人だったという。この翁も、後には病んで、市の門の脇で死んだため、市の人たちは哀れんで賀茂川の東に埋めてやった。ところが、それから20年後に、一人の老僧が高野山で行脚中、死んだはずの白箸翁が石室にいて、香を焚いて法華経をよんでいるのをみつけ、近づいて話しかけたところ、笑って答えず、その後また訪ねていったときはみつからなかったという。

 

56代清和天皇(在位858-876)時代。白箸翁は、何人と云ふことを知らず。
又その姓名を得ず。清和天皇の貞観の末、一人の老夫あり。常に市中に遊びて、白箸を売るを以て業とす。時人号て白箸翁と云ふ。人皆不潔なるを厭ひて、其の箸を買わず。翁もまた自ら之を知て憂とせず。寒暑共に黒色の服を著て変ること無し。其の形は枯木に似て、其の跡の追ふべからざること浮雲の如し。鬢髪は雪よりも白く、冠履全からず。人もし年を問へば常に自ら七十と云へり。満市の人、其の何者たるを量り知ることを得ず。後頓に病て市の門の側に終りぬ。市人其の久しく相見たるを哀み、屍を移して鴨川の東に埋めしめぬ。後二十余年を経て、一人の老僧あり。人に語りけらく、去年の夏中、南山に行きたりしに、昔日の白箸翁が石室の中に居て、香を焚きて、法華経を誦むを見る。近き相ふ謁えしかば、居士恙無きやと云ひけるに、翁わらひて答えずして去りたる故、老僧も相ひつぎて後を追ひしかども、遂に其所在を見失ひたりとぞ。