子供時代

母は私を出産するときに陣痛で5分間苦しみましたが、その後は深いトランスに入り、楽に私を生みました。生まれた直後の私はとても肌の色が黒く、赤い手をしていたそうです。母によると私は生まれてから7年間まったく口を開かない、無口な子供だったそうですが、それはイリュージョンでした。私は自分の魂がある特定のレベルに順応する為に、エネルギーを吸収していたのだと思っています。子供が10歳を過ぎれば、両親は子供にかかるイリュージョンに対して責任がなくなります。それまでは両親に部分的な責任があります。例えば、私の母には5人の子供がいました。私はちょうど真ん中でした。姉と兄、私、そして2人の妹たちです。両親は私に対する責任を果たしました。しかし、ある面では失敗しました。いつも母は私に対して99.999パーセント否定的な感情を抱いていました。私が子供たちの中で一番できが悪かったからです。母はいつも私に厳しいことを言いました。子供の頃の私は本当に母の言うことをよく聞きました。大きくなってからは、自分の生き方に従うようになりました。父は大学の教授でした。非常に優しく、同時にラクシャサーの様でもありました。教授というのは大抵真面目で融通のきかない、あまり人生を楽しまない人達だと言う事はわかるでしょう。彼らの人生はずっと本の中にあるのです。父は信じられないほど意地悪く、非情で、本当に私を苦しめました。

 

毎週、土曜と日曜に母は私を寺院へ連れて行きました。母はお寺を周回するプラダークシナをし、私はその後ろからついて歩きました。私がついていった一番の目的はプラサードとして配られるココナッツのかけらをもらうためでした。また特別なカップも持参しました。寺の僧侶が神聖な水をそのカップに入れてくれる時に「もう少しこのカップに入れてください」とねだり、それから腰掛けて、平和に楽しく味わったものです。

 

学業の方は順調でした――その時が来るまでは。私は14歳になり、チャクラが開きだし、ビッグ・ボスのシルディー・ババが現われました。大いなる旅立ちでした。大変な責任と大変な苦悩の始まりです。それからは誰も私を理解することができません。私はイリュージョンの中にいました。皆が私を誤解しました。みんなもイリュージョンの中にいました。私はイリュージョンの第2段階に入っていました。それは身辺に驚く様なエネルギーが存在し、何が起きているか知りたいのに自分が何をしているのかまったく分からない、そういう段階です。