1814年3月19日に宗忠は、入浴し体を清めてお日様を拝みたいと言った。妻は止めたが、宗忠の決意は固く、入浴の後、縁側に這うように出てお日様を拝んだ。それをきっかけに年来の病気は全快した。同年11月11日冬至の朝、宗忠が一心不乱にお日様を祈っていると、太陽のエネルギーが体全体にみちわたり、まるごとのみこんだような、何ともたとえようもないよい心持になった。「笛を鳴らし糸をしらべカネをたたき鼓をならして歌い舞うとも及びがたい」というほどの楽しさ、嬉しさで、宗忠はこのとき、天地生々の霊気を自得した。宗忠は「自分だけでなく、ほかの人にもこの恵みをわかつことが天照大神の御心にかなう」と考えて、翌年1815年から教えを説き始め、1850年に亡くなるまで35年あまり布教を続けた。「いつも申し上げているとおり、道というものはまことに単純なもので、ただ私の智恵を離れて有難きのみに日を送られるならば、年もよらず、疲れもせず、うれしい面白いのみです。何事もうれしいうれしいと世を渡られれば、うれしいことばかり自然と来るものです」

 弟子の直原伊八郎が宗忠と一緒に寝泊りした記録がある。それによると、夜明けになると宗忠は、ぱっと起き上がって、障子をさっと引きあけ、雨戸を一枚あけるや「ああ有り難い」と言った。そして手洗いしたのち、お日様を拝んだという。

 ある門人が「心の底から有り難いという心がどうも起こらないのですが・・・」と相談すると、宗忠は、こう教えた。「たとえまねでも口先でもいいから、まず朝、目がさめると第一に『有り難い』と言いなさい。それからお日様を拝んで『有り難い』と礼拝し、見るもの聞くもの何につけても『有り難い有り難い有り難い』と言っていると、自然とお心が『有難く』なります」

 

また、岡山藩のさる高禄の世臣(せしん)がらい病(ハンセン氏病)にかかり、世間の噂に黒住先生のところでは難病・業病も立ちどころになおるときき、早速宗忠を訪ねて病状を述べ、どうしたら御蔭をこうむることができましょうか、とたずねた。宗忠から、『ただ一心に有り難いということを100遍くらいお唱えなされよ』との答を得たので、それに従って、1週間ほど、毎日自宅の神前で『有り難い有り難い』と唱えた。しかし、一向にしるしがない。また宗忠のもとに出向いてたずねると『一心不乱に1,000遍ずつ』との答。また1週間経ったがしるしがないので、また行くと、今度は「10,000遍ずつ唱えよ。」との答だった。その通り無念無想に1週間、1万遍ずつ毎日唱えていると、7日目に発熱し血を吐いて、疲労の果てに倒れ、そのまま熟睡してしまった。そして翌朝起きてみると、らい病の萌芽の見えていた皮膚は、すっかりなおってきれいになっていた。

 有り難き また面白き 嬉しきと
 みき を供うぞ 誠成りけれ

 

神仙の存在について(宮地嚴夫)① | ふしぎなはなし (ameblo.jp)