『イヤ全くその局に当った方々の御苦労はお察し致します。――時にその裁判沙汰というのはどうして起ったのでございますか?』

『それは斯こうです』と長南さんは物語りを続けました。『大朝の記事が出てからたしか三日目位でした、私の寓居は突然多数の警官に包囲され、家宅捜索を執行されたのでした。折から私は外出中でしたが、家人の談によると、それはなかなか厳密な大捜査で、何か薬品様のものを隠して居いはせぬかと言って床下までも捜さがしたそうです。――無論いくら捜索されたとて薬品などの有あろう筈がありませんから、警官隊は手を空うしてスゴスゴ引き上げたのでありますが、即夜姉を呼び出して拘留十日に処分しました。

『たとえ五日でも十日でも人を拘留処分に附するには、それ相当の理由がなければならぬ筈です。所が私の姉の場合にはいかなる理由があるのか更に私には判らない。姉は何処どこまでも従順で、拘留すると云えば甘んじて拘留され、監禁するといえば歓よろこんで監禁される性質たちの婦女おんなでしたが、いやしくも其その監督者の地位に立てる私としてはそうは参りません。遂に私は右の言渡しを不当として正式の裁判を仰ぎ、控訴上告にまで及んだのでした。『私が一方に於おいて斯かく訴訟問題に気を揉んで居いるにも係らず、御当人は至極暢気のんきなもので、八月下旬従者数名を引具し、富士登山に出掛けて了しまいました。そしてそのまま山上に籠こもり、九月、十月、十一月と幾度いくたび月が変っても下山しないのには弱りました。神霊の守護を受けて居いる以上、其その身体についての心配は殆ほとんど無いとしても、裁判の問題は本人なしには進行させる訳に参りません。正式裁判を仰ぎ乍ながら、延期又延期では、私の名誉上の問題でもありますから、しばしば人を富士山に派し、いろいろ手を尽した上で、十一月の下旬に至り、ヤッとの事で姉を大阪まで連れ戻ることが能でき、それで私もほっと安心したような次第でした。』