長南氏は語りつづけました。――

『私の姉というのは、前にも申上げました通り至って無邪気な、まるで赤児のようなもので、何でも他人の言いなり次第になります。所が、斯こんな霊覚者の周囲には、一方に正直な善人も集まりますが、他方には又物の道理の判らない、頑固な有難がた連中やら、神をダシに使おうとする宗教策士達やらが兎角集まって来たがるもので、それ等は研究とか実験とかいう事には常に極力不賛成を唱えます。姉の場合に於おいても矢張りそうで、取巻連が無邪気な姉を動かして、どうしても東京へ出ることを承諾しないのには弱りました。『で、私はがっかりして一旦大阪へ引返しましたが、姉の不思議な躯からだを学問研究の対象としたいという念慮は抑えんとして抑うるに由なく、何とかして素志を貫徹しようと脳漿を絞った結果、とうとう私は伊勢参宮を口実に一と先姉を大阪に呼び寄せ、その上で京都大学に連れ込むけいかくを樹てました。『このけいかくは私の思う壷に嵌りました。姉も伊勢参宮は年来の希望でありますし、又周囲のものどもも之に対して不服を唱うべき理由を発見し得ません。とうとう明治三十三年の春、姉は山形を立ち出で梅田の停車場へ姿を現わしたのですが、姉を取巻いて居いる三四の頑固連はどうしても其その身辺を離れず、御苦労にも大阪まで踉ついて来たのには驚きました。『兎も角も、首尾よく大阪へ出て来るには来ましたが、姉がまだ到着せぬ先から、不思議な神女が来るという風評うわさが私の友人からその友人の、その又友人にも伝わるという有様、私の空堀町の住居は、忽たちまち病気直しを頼む人やら、伺いを立てる人やらで、朝から晩まで雑沓するようになって了しまいました。こうなりましてはなかなか予定通り京都大学へ連れて行く隙とてもございませんでした。イヤ何どうも心霊方面の仕事となると騒ぎが大きくなり勝ちで困ったものです……。』

長南氏は息をもつかず談話を続けました。――

『当時空堀町の私の寓居は二階建で、階上には両便所も附属して居ました。私はこの二階を姉の居室と定め、第一にその両便所を密封して了しまいました。姉が翌年帰国するまで一年有余の間、両便所がそっくり密封のまま残ったことは申すまでも厶ございません。そして病気の治療其他そのほか姉に関する一切の仕事は皆この二階で執行されました。

『私は姉がどんなことをして病気を治なおすか、一と通り其その実況を述べて置きたいと思います。先ず驚かれるのはその感応の強烈なことで、患者が玄関に入ったか入らぬ時にモー二階の姉の肉体に当人の病気が感応するのです。その際姉に病気治療を頼む人々は薬瓶なり、ビール壜なり各自思い思いに空壜を携えて来るのですが、姉はこの空壜を十本でも二十本でも一つに固て御三方の上に載せて神前に供えます。無論壜には栓を施したままで、一々依頼者の姓名が書きつけてあります。

『姉が神前に跪坐して祈願する時間は通例十分間内外です。すると右の密閉されたる十本なり二十本なりの壜の中にパッ! と霊水が同時同刻に一ぱいになる――それが赤いのやら、青いのやら黄いのやら、樺色なのやら、疾病やまいに応じてそれぞれ色合いが違います。イヤ実況を見て居おりますと、まるで手品のようで、ただただ不思議と感歎するより外に致し方が厶ございません。一通り貴下あなた方がたにも其その実況をお目に掛けたいものでした……。』『全く残念なことをしました』と、私は答えました。『ブラバッキイ夫人などの記録を読むと、それに類似の奇蹟的事実がいろいろ書いてありますが、不幸にしてまだ一度も実地を目撃したことがございません。――それはそうと其その神授の霊水は病気にはよく効ましたか?』

『イヤその効験と言ったら誠に顕著なもので、どんな病気でもズンズン治りました。――もっとも神から不治と鑑定された人、又試しに一つやらして見ようなどとした者の壜には霊水が授からないのは不思議でした。十本か二十本の中には其様なものが一本位は混まじるようでした。こんなあんばいで、壜の数は何本までという制限はなかったように思われますが、私の知って居いる所では、一時に空壜がズラリ四十本ほどお三方の上に並ならびんだのがレコードでございました。あの調子で考えると百本でも二百本でも一時にぱっと霊水が入ったろうと思われます。