『巨細の実状を知らぬ間こそ黙って見て居ましたが』と、長南氏は当時を追懐しつつ物語をつづけました。『一旦帰郷の上で数日の間実状を調査して見ますと、私は、こりァこのままに放任する訳には行かぬという気になりました。事実無根を事実無根として真相を曝露し、詐欺行為を詐欺行為として懲罰を加えるのならば元より正当でありますが、正直一方、真心まごころ一方で行って居るものを捕え其その身辺に起る所の現象が自分達の貧弱な頭脳と浅薄な智識で説明することができないからと云って監獄に入れるというのは何事か。――彼等といえども、姉の身辺に起る現象が決して虚偽の片影すら混らぬことは、姉の二度の監獄生活で知り切っている。それにも係らずなお強いて人為的に此この確実なる事実を撲滅すべく力瘤を入れるとは余りといえば片腹痛い。曲学阿世か、科学迷信か。何いずれにしてもこの侭には棄て置き難い……

『とうとう私も憤慨の余り、明治三十二年九月二十一日附を以もって、山形県監獄鶴岡支署長渡邊吉雄という人に、姉年惠の在監中の生活実状に就つきての証明願を提出する事になりました。証明の項目は(一)両便の不通なりし事、(二)絶食の事(前の六十日間拘禁の時は、監獄規則上何か食えと強いられ、一日に生芋二十目ずつを食したるも、後の七日間は一物だも食物を口にせず、一度葡萄を口中に入るるや忽たちまち吐血したる事実、(三)拘禁中前署長有村實禮の需もとめに応じ、檻房内にて神に願い、霊水一壜、お守一個、経文一部、散薬一服を授けられて之これを署長に贈りたる事(四)同囚のもとめにより、散薬を神より授かり之これを与えたるに、身体検査に際し右の事実が発覚せる事、(五)監房内に神々御降臨の場合には、掛官の人々が空中に於おいて笛声其他そのほかの鳴物を聞きたる事、(六)監房生活中姉の蝶々髷は常に結ひ立ての如く艶々して居おり、姉は神様が結って呉れるのであると言い居いたる事、(七)一斗五升の水を大桶に入れ、それを容易に運搬し居いたる事(八)夏期蚊軍来襲するも、年惠の身体には一疋もたからず、遂に在監中姉一人のみ蚊帳かやの外に寝臥した事、等の八ヶ条でありました。

『右の証明願はやがて附箋附で却下されました。其その附箋の文句は斯こうです――明治三十二年九月二十一日附を以もって長南年惠在監中の儀に付願出の件は、証明を与うるの限りにあらざるを以もって却下す――何と面白い文句ではありませんか。事実は事実だが、証明を与える限りでないから却下すというのですから確かなものです。斯こんな結構な証拠物件はございません。私もこりァ大事な品物だと考えましたから斯の通り立派に保存して置いてあります。』

 そう言って長南氏は半紙五枚綴の所謂いわゆる御証明願を出して私達に示してくれました。それは相当に時代色を帯び、そして附箋には『山形県鶴岡支署印』なる長方形の印版が鮮かに捺印してありました。

『イヤーすてきな証拠物件が残って居いたものですナー』私はそれを一見すると同時に思わず感歎の声を漏らさずには居おられませんでした。『是非ぜひ写真にも撮とり、又文句も写し取って置きたいと思いますから暫時しばし拝借を願いたいですが……。』

『承知致しました、お持ちかえりになられても構いません。』

 長南氏は言下に快諾を与えて呉れました。右の『御証明願』の原文は私の手許に写し取ってあります。

監獄署に差出した証明願は空しく却下され、それによりて姉年惠の奇蹟を天下に公表せんとした長南氏のけいかくは爰ここに一頓挫を来しましたが、しかし一且心霊に目覚めたる同氏は、それしきの事でそのけいかくを放棄しようとはしませんでした。氏は考えました、姉の神懸りは別としても、単に両便不通、絶食絶飲等の生理的現象だけで優に学界の研究材料とするに充分である。それには不取敢とりあえず姉を帝国大学に提供して見るのが順当であろう――そう思いまして、東京の井上圓了博士などとも相談の上、其その手続を執らうとしたのでしたが、事情ありてそのけいかくも亦また実行されずに過ぎて了しまいました。