东岳泰山真形图

子有东岳形,令人神安命延,存身长久,入山履川,百芝自聚。

东岳泰山君,领群神五千九百人,主治死生,百鬼之主帅也。血食庙祀,宗伯者也。俗世所奉鬼祠邪精之神,而死者皆归泰山,受罪考焉。诸得佩五岳形,入经山林及诣泰山,君及诸山百川神,皆出境拜迎子也。泰山君服青袍,戴苍碧七称之冠,佩通阳太明之印,乘青龙,从群官来迎子。右东岳泰山形源,周回二千里,在瑯瑘界。南夏

 

東嶽・廣桑山は、東海中にあり、青帝の都する所」と有る。これは、(『關令尹喜傳』)の『老子東遊文』に、「東遊して、日窟常暘の山にいたり、榑桑の丹椹(赤き桑の如き實)を食べた。若木(榑桑と同木、枎桑・椹樹・櫻木・□木。九千歳に一度、実を生じる。まるで西王母の仙桃の様だ。)の朱華(葉、桐の葉に似て赤い)を散らし、碧海をみて、東井を汲んで、欝池宮を過ぎれば、暘谷神王・東海青童君・衆仙達が、丹椹の朱實・金津の碧醴をくださる。次に祖山に登り、芝田を觀て、養神草を採って、蓬莱宮で休み、また風山に遊んで、青丘に登り、紫府を過ぎれば、太元眞人紫府先生(谷希子・景林眞人、即ち黄帝・東方朔などの師、実は事代主大神である。)、九光の甘液・白文の玉英・青林の白子をくださる。「日窟常暘の山」というのは、大壑・暘谷のほとりに在る山の名と思われる。暘谷は、日窟と言われる霊地である。この領域で、榑桑の椹を取るとあるが、この樹は、日本にのみ有って、他の地域には無き木であるので、碧海というのも、日本の辺海の名前であることと思う。

 

さて東井というのは、定かではないが、その幽宮の名を欝池というのは、暘谷を咸池ともいうのを合わせて考えると、その幽宮を主に治めている靈眞の名前を、暘谷神王とあるのは、まさにこの領域に由縁がある名前である。


祖山に登り、芝田を觀て、養神艸を採った。

祖山とは、東岳・廣桑山であり、また祖州ともいう。


『十州記』に、長州は、一に青丘と呼ばれる。南海辰巳の地に在る。上は山川を有し、また大樹が多い。樹は、二千円なる者がある。一州はもっぱら林木である。ゆえに青丘と名づけられる。また仙草靈藥が有る。また、風山があり。山つとに震聲がある。紫府宮が有る。天眞の女仙、ここに遊ぶ。『老子東遊文』にある、「紫府先生」、また『十州記』なる「紫府宮」の事は、『黄帝本行記』に、「東して青丘に到つて、紫府先生に見え、風山に登て、三皇内文の天文大字を受けて、以て萬神を劾召し、群靈を役使す」と見え、『清靈眞人傳』に、「すなわち天下に遊行して、東して青丘に到り、谷希子に遇す。青帝君、授くるに青精・日水・青華の芝を以てす」とある。

 

青帝とは、風・木を主宰する神で、本所は、東岳・廣桑山である。風山・青丘は、自凝島に遠からで、青帝の居所なること知るべきである。太元眞人とは、谷希子の位号である。青帝君の前に立って、紫府宮を治むる職であるので、紫府先生とも称すると聞える。ちなみに紫府先生谷希子とは、黄帝の師でもあり、東方朔の師でもあった。風山・青丘といわれる所々は、九州の北面、豊国から四国あたりまでを言うと思われる。