1886年のことです。サイ・ババは自分の喘息の発作から解放されるために深い瞑想にはいることを宣言しました。『3日間私の身体を守りなさい』ババはマハルサパティに言いました。『それでも私が戻らなければ、あの野原に私の身体を埋葬しなさい』そう言って埋葬すべき地点を正確に教え、2本の旗を立てて墓の位置を示すように指示してから大きく息を吸うと、その場に崩れ落ちました。ババの呼吸は止まっていました。心臓も止まり、脈もありませんでした。ババの死が宣告され、村の役人達が調査に入ろうとしました。インドのような気候では、死後24時間以内に死体を埋葬するか、火葬する事が決められています。しかし、マハルサパティは役人の指示を全く無視し、3日3晩ババの頭をひざの上に抱えて座り続け、ババの身体を守りました。3日後、無事にババは息を吹き返し、何事もなかったかのように元の生活に戻りました。

 

ムンバイ在住のカカ・マハジャニという信奉者が1週間滞在するつもりで、シルディを訪れました。ゴクール・アシュタミ祭に参加するつもりで計画をたてていました。しかしサイ・ババに会ったとたん「いつ帰るのか」と尋ねられたので、驚いたマハジャニは「いつでも帰るように言われた日に帰ります」と答えたところ、ババに「明日帰りなさい」と言われました。

 

言われた通りムンバイに戻ったマハジャニは、自分の会社の社員達に大喜びで迎えられました。どうしたのかと聞いたところ、緊急事態が起きたのでマハジャニに至急戻るように手紙を出したというのです。しかし、その手紙はマハジャニが帰路についた翌日にシルディに届き、転送されて戻ってきました。手紙の消印から見てもマハジャニがいる時にババがその事を知りえたはずがないので、皆はおおいに驚いたのです。

 

ある時、サイババを信奉する弁護士のブハウサヘブ・ドゥマールがニッパードで開かれる重要な裁判に向かう途中、ババに会う為にシルディに立ち寄りました。ドゥマールはちょっと寄るだけのつもりでしたが、ババに1週間滞在するように言われました。重要な裁判だったので気掛かりでしたが、言われた通りに滞在したところ、何事もなく1週間が過ぎました。そして後に、判事が急病になって裁判が延期されたことを知ったのです。

 

ヒンズー教徒にとって、少なくとも年に1度はプラヤグという聖地(ガンジス河とジャムナ河が合流する地点)で水浴びをすることが神聖な義務とされています。

 

ある日、シルディ・ババの敬虔な信徒であるダス・ガヌ・マハラジが、そろそろ自分も聖地に行く頃だと考え、ババに旅に出る許可をもらいに行きました。しかしババは「そのような長旅をする必要はない。我々のプラヤグはここにあるのだから」と言いました。ダス・ガヌはグルのこの言葉を受け入れ、そのしるしにババの足に頭をつけようとしたところ、ババの足の爪先から水がほとばしり、2本の奔流となったそうです。

 

シルディ村を訪れる者の友人や親戚の中には、色々と噂されている怪しいファキール(僧)に会うのをためらう人達も大勢いました。しかしその人達がババに会ってみると噂の白装束の男ではなく、自分がかねてより崇拝している神(またはグル)の姿をそこに見て驚くのです。ナシクから来た誇り高いブラーミンの占星術師の目にはグル・ゴラープ・スワミの姿が見え、イスラム教の人間に頭など下げるものか、と思っていた懐疑的なヒンズー教の医師にはババがどうしてもラーマにしか見えませんでした。ババの生存中にはこの様な話が頻繁に聞かれたものでした。