ある晩、凄まじい嵐が村を襲いました。雷鳴が轟き、稲妻が走り、豪雨になりました。村は水浸しになり、大変な災害になるというので、人々はドワルカマイへと走りました。モスクの入口に立ったサイ・ババは空を見上げ、大きな声で5大要素にその怒りを鎮めるように呼びかけました。数分後、雨は止み、空は何事もなかったかのように穏やかになりました。

 

ある日のこと、サイ・ババがモスクでいつも焚いている火が、突然明るくなりました。その火は高々と燃え上がり、ついには炎が天井につきそうになりました。モスクにいた人々は天井が燃えるのではないかと、心配し始めました。サイ・ババはこれに気がつくと怒って立ち上がり、木の杖で炉の前にある柱をガンガン叩きだしました。するとババが一回叩く毎に火は小さくなり、瞬く間に火はもとの安全な大きさに戻りました。

 

マハルサパティはババのプジャリ(祭祀)でした。そして最初にババを『サイ・ババ』と呼んだ人でもあります。彼は毎日掃除をし、プジャやアラティの祭礼を行ない、人々にプラサッドを分け与えていました。

 

ババは受け取った金をいつも皆に分け与えていましたが、マハルサパティにだけは一度も与えませんでした。マハルサパティがどんなにお金に困っていても、絶対にあげませんでした。そしていつもマハルサパティに辛く当たりました。いつも批判的で、けなしてばかりいました。マハルサパティがいい仕事をしても、ババはわざと殴ったりしました。「お前はここでへまをした、あそこで変なことをした、何故私の話に割って入ったのだ?」と。予めマハルサパティにそうするように、具体的にどこで割って入り、何を思い出させるかをババが指示していたにも関わらずです。マハルサパティは言われた通りにしたのに中傷され、傷つきました。しかもババはそれから数日間、口もきいてくれませんでした。

 

ババの最後の最後まで、サマディーが近くなっても、相変わらずマハルサパティはババを理解できませんでした。何故あんな態度をとるのか。どういう性格なのか。いったいどうなっているのだろう、と。

  

ある日彼はババの前に立ち、こう尋ねました。「お願いです。あなたは信奉者と色々な形の関係を結んでおられますが、私には一度も信奉者として、あるいは生徒として接してくれたことがありません。私は少なくともあなたのプジャリです。それなのに、まるであなたと私の間にはなんの関係もないようです。何故ですか?」

 

ババはただ微笑んで言いました。「毎日、お前は期待しながら自分の務めを果たしている。ただの一日でさえ、期待しないお前の姿を見る事はなかった。今日こそは期待しないのではないかと、毎日私はお前を見ていた。しかしお前は毎日期待し続けた。私に何ができるというのだ?そういう理由でお前は失ってきたのだよ」と。

 

期待をするのは良くありません。しかし期待は持たなければなりません。ここが難しいところです。期待しながら、同時に「どうか私にとって最良の選択をしてください」とババに任せることが必要なのです。