私は毎年、富士山に登って御神事をいたします。昭和天皇が大正十二年、富士山に登られ世界平和をお祈りになったことがあります。それを見習い、昭和18年、白鳥敏夫(元駐イタリア大使)を中心にして富士山頂で大祓神事を執り行ったのが発端です。最初の富士神事のとき、万年雪の上に祭壇を作って祭事を始めたのですが、しばらくすると体が浮いてきます。祝詞を唱えて鎮魂状態に入りますと体が浮き上がってしまうのです。このまま上へ連れていかれたのでは御神事が続行できなくなりますので、何とかして足を離さない様に踏ん張りました。この戦争は陛下の御心に逆らって始めたものですから、早期終結を祈るための御神事でした。ところが地元の特高警察に写真を撮られてしまいました。白鳥が気づき、写真を取り返してくる様に指示をしましたが、結局、御神事が東条英機首相の耳に入りました。当時、私は軍需省に勤めていました。普通軍需省は召集令状が来ないのが普通です。ところが、私一人だけが3回も召集を受けました。同僚の陸軍少佐が心配してくれ、大臣官房へ行って私の名前がブラックリストに載っているかどうか調べてくれました。少佐は驚いて飛んで帰ってきます。東条のブラックリストに載っていました。その晩、皆が送別会を開いてくれました。召集が来たので海兵団に入りますが、入隊してしばらくした日の朝二時頃、急に不寝番の兵隊に呼び起こされて軍医長の所へ連れていかれました。「身体検査をする」「身体検査は入隊時にすんでおります。」「そうじゃない。おまえはとんでもない病気を持っているはずだから、すぐに裸になれ。」裸になったら、とたんにお尻を叩かれて、「だめだ、こんな体では役に立たんな。もういいから帰れ。」「私では務まりませんか」「あたりまえだ。そんな体では無理だ。」「いえ、どうせわたしは鉄砲玉になって死ぬのですから、どんな体でもいいのではないのですか?」「いいからすぐに帰れ」私は兵舎へ帰ろうとします。「兵舎ではない。門の方へ帰れ」わたしは営門のほうへ歩いていきました。真暗い中に金ぴかのモールを付けた将校が立っています。「おい来たか、おれだよ」人生意気に感じ、私と義兄弟の契りを結んでいた男でした。後で厚木海軍航空隊司令になっています。「お前を鉄砲玉にしちゃもったいない。軍医長に話してお前をもらったのだ。一緒におれの所に来い」まだ夜明け前の横須賀市街を走って、その人の所へ行ったのですが、その時に初めて事情が呑み込めました。戦地に送られて消される寸前だったのです。縁というのは不思議です。その義兄弟は戦後、反乱罪に問われて、今でも罪名が消えておりません。その人の奥さんは照宮様の養育係の女官でした。そういう色んな因縁が繋がりまして、私は多くの御神事に関係してきましたが、富士山に登って最初の祈願を行った時点で、誰も否定できないほど、既に日本の敗戦は濃厚でした。