「私」というのは結局、他者との関係から与えられた或る様式なんです。これに何か実体があると思ったときに話はおかしくなる。無いはずの「私」に実体があるということになると、補強しなきゃいけない。
 そうすると一番分かり易いのは、人が欲しがるものを掻き集めるということ……所有欲です。所有というのは貯蔵とかとはわけが違う。人の欲しがるものを自分のところに抱え込むんです。
 所有は社会関係ですから、所有というのは人と人との関係であって、法律で決めないかぎり「所有権」にならないでしょう? そうすると他人の欲しがるものを抱え込んで、その「欲しいもの」に人の視線を集めてそこに自己を投射するんです。
 無いはずの自己を強化するために所有という概念を使うのは、近代資本主義社会の常套手段ですな。従って所有欲には限度が無い。欲求には限度があっても、所有欲には限度が無い。それは、無いはずの自我が欲望の対象だからです。