羅刹天は、梵名をラクシャス、ラクシャサという古代インド神話における鬼神です。世界的には悪魔といいます。アスラの配下だと言われています。死後、人間が幽霊になると幽界に移動しますが、彼らはその幽霊より1段階、力の強い存在です。彼らの住処は、幽霊達より、下層になりますが、我々祖先の幽霊達に支配的な影響を与えています。大半の人間は神への修行や精神修練は行わないので、黒い幽霊となります。幽霊の世界は、ラクシャスの住む場所と距離的に大きく離れているわけではなく、同じ場所でも次元が違うので、重なっています。低次元に住まう魔族ほど、次元移動ができる強さを持っているので、魔族は、一般の幽霊達に影響を与え、かつ彼等を使って人間に憑依をして目的を果たそうとします。天界以外はこの人間物質界も含めて弱肉強食の世界です。

 

墓地に住むラクシャサは燃え盛る炎のような朱紅の眼と長い舌、長い尻尾を持っていて、月の出ない闇夜に様々な姿に変化して人里に現れて妊娠中の女性や幼児を襲い、その血肉を食らうとされます。彼等は墓場などの陰地に住みますが、異次元(低次元世界)に存在しているので、その次元に合う霊眼が無いと見れない。一般的な幽霊も墓地に出現しますが、彼らは肉体欲が消えないので、死骸(肉体)の魄気に惹かれて墓地に来たりします。

 

我々人間も幽霊もラクシャサも同じく、物質的な欲望と欲求の中で生きています。人間とは無欲で見返りを求めない愛や善を行えない存在です。性欲(愛欲)、食欲などの生理的な欲求を求め、さらに支配欲、名声欲といった社会的な欲求を満たそうと餓鬼の様にもがきます。一定の欲望が満たされて、ステータスを上げれば、更なる欲求のために、使用人を雇い扱き使い、富を集めます。他人の富を経済活動と称して奪い盗みます。相手の欲求を満たし自己の利益を得るのが経済活動です。無償の福祉ではありません。

 

人間は、大概、習慣性のある、欲望、欲求を忘れられず死にます。・・・・誰がそうすることなく、自ずから黒い幽霊となります。黒、ブラックとは欲望です。修練等で力を持ち、欲望の強いものは、より強欲な下層階に陥り魔族になっていきます。彼らには物質的な身体がない分だけ、自分の欲望に忠実です。法律や刑罰がなく倫理も通用しない弱肉強食の世界です。従って幽界は同じ欲望がある類友が集まり世界を作ります。

 

ヒンドゥー教のブラフマー神によって川の守護者としてラクシャサは創造されたといいます。神話では、アスラやラクシャサは魔族として、世界を揺るがすときは、世界の守護者であるビシュヌ神のアヴァターラによって討伐されています。ヒンドゥーには聖者もいれば、魔術者もいます。後者をブラックといいます。アゴーリなどの魔術者は修行をして、魔族や幽霊達に繋がります。物を空中から取り出したり、浮遊したりの奇跡、奇術を行ったり、人を呪ったり、人の願望を満たしていきます。

 

インドでは生きた人間から肝臓を抜き取るジガルクワール、犯罪者や狂人などがこの世に舞い戻り人間の血肉を求めるビサチャ、この世に未練を残した者達の死体が墓場から蘇るブータといった鬼=幽霊が伝わっています。

 

ヒンドゥー・イスラムに対して劣勢であった仏教は仏教哲学の教義を頂点にヒンドゥーの神や魔族を善悪なく、次々と模倣し、調伏したと称して仏教を頂点とするパンテオンを作りました。羅刹も密教の護法神として取り込まれます。涅哩底(ねりてい)など、破壊や破滅を司る神や鬼の主尊が羅刹天です。仏教に取り入れられてからは、凶悪な煩悩を食い尽くす善神となったとして、仏法を守護し、八方天、十二天中の一尊、西南方の護法神として祀られました。

 

ヒンドゥー教の修行には、ラクシャサの成就法がありますが、マントラとイメージによるものであると推測されます。ラクシャサは極めて恐ろしい存在で、身に人間の腸を巻いて荘厳した形で出現し、見るに堪えず、出会えば発狂しかねない存在です。魔族を使役するために呼び出すので、自身が怯えていると取り憑かれて、精神に支障をきたすので覚悟が必要です。密教では、供養をして眼前に忿怒尊があらわれても決して恐れないようにという注意は密教明王部の儀軌にもある通りです。

 

ヒンドゥーの魔術師=ブラックはその道を修行しますが。彼らは魔族を自身に憑依させて人の生気を盗み吸い込み力とします。