観自在菩薩は、Avalokitesvaraアヴァローキテーシュヴァラである。Ava降る、下という意味であり。Lokitaは、見るという意味であり、過去形で「見られた」となり、Isvaraとは自在者にして主である。

ローキタは、過去形で「観る」ではなくて、既に、他者から「見られた」意味である。またイーシュヴァラこれ単独で自在であるという意味ではなくて、自在者の意味であり主を表す。「下りて見られたる主」ということになる。
 
アヴァローキタは、高きから下方を見たる、見下ろす。または、照らす。または、治める。または、そこに行く、まみえる。または、見取る、見定める。監臨つまり上天に在る帝が下界を見下ろして、下界に下りて見定めて保ち治めることを言う。イーシュヴァラとは帝である。帝とは、上天の天主。または、神を締めたる神の王。または、神の如き人王。または、本来の意味における諦めるにして物事をあきらかにして定める。つまりアヴァローキテーシュヴァラとは、監臨帝菩薩もしくは臨帝菩薩なり。またAryavalokitesvaraアールヤーヴァローキテーシュヴァラの場合これ聖降臨主なり。
 
アヴァローキテーシュヴァラこれ古来より観自在菩薩と訳されど劣った訳であり、サンスクリットに則したればこれ下りて見られたる主、眼前に在りて側にて見守りたる主、臨在せる主の意味である。下界に下りて世を見た現前せる至高者、降臨せる主の意味である。
 
ゾロアスター教における救世主に近い。事実、観自在菩薩は、古くはまさに救世主や地上に降りたる神の如く崇拝された。降臨せる救世主と理解すれば、古代のアヴァローキテーシュヴァラにたいする熱狂的な信仰と帰依は理解できるだろう。
 
ハヤグリーヴァとは、ヒンドゥー教のダイティヤである。ダイティヤとは、有限に属するという意味である。神道では、無限定であるアディティAditiであるアマテラスであり、境界に立つスサノオが限定であり、これにより人間界の生じたるべし。この意味においてスサノオのダーカ達の祭祀主なるべし。まさに馬頭尊ダーカパラマアシュヴァと呼ばれた。最勝馬の意味である。天皇の祭祀主である。
 
ダーカアルナヴァチャクラという尊格がある。祭祀の主の大法海の意味であり、アマテラス大神は、天上と天河天海と昼の主であり無限定です。
 
ツクヨミとは、地下と冥河冥海と夜の主である。永遠の変化であり時です。後裔はヤクシャYaksaであり、ヴァスダーラーはその後裔です。