今度は神職の山本氏が引き取り、上坐から下り、一礼して問を発しました。

山本。拙者は当地産土うぶすな神社の神職山木參河と申す者でござるが、うけたまわれば貴下は加賀の住人泉氏の御魂みたまにて、ゆくゆくは社地に鎮まりたき御希望の由、いかにもことわりあるお依みでござる。市治郎の体よりお離れあるにおいては、及ばずながら拙者兎も角もはからい申すでござろう。

幽魂。御来駕の段御苦労にござる。拙者の身の上を御耳に達し、誠に面目次第もござらぬ。市治郎の体より立退たちのくことは、今更申すまでもござらねど、ただ社地に鎮まる事は偏に頼み奉る。もっとも公辺に持ち出るははばかりあれば、人知れず内密にて図られたし。

 としんみりと依みました。委細承知して山本神職は一礼して退きました。之につづきては長吉が幽魂に対してあやまり証文を書く滑稽な一条がありましたがそれは省きます。幽魂は長吉の不審に対し別段深き怒を挿める模様はなく、ほほえみながら長吉をゆびさし、

幽魂。この男愚痴にてはあれど、永々と市治郎を親切に看護せしは奇篤なれば、病気平癒の後はこの儀とくと市治郎に言いきかせるがよい。当人も定めて歓ぶことでござろう。

 などと述べるのでした。今度は宮崎氏が入り代りました。

宮崎。さてこれは一家の人々の依頼にて尋ねる次第なるが、此家このいえに何にかさわることはなきや。御存知ならばおしえ置かれよ。

幽魂。この家は三屋敷も四屋敷も合併して一つに成れるものにて住居としては甚だ悪し数ヶの屋敷を併せたるものは凶事の起るものなり、その事は広く世間を調べ見れば明白ならむ。又このたるきの板に悪しき材木を用いてあれば早く取りかえるがよし。又此室は海中より直に夕陽の射し入るが悪しすべて朝夕の日光を海より直ちに不浄の室に受くるは憚るべきことなり。さるにても先刻お願い置きし拙者の鎮まるべき地所の御評議は決定したるや。

宮崎。山本氏と謀りたる所、産土神の社地に建碑の事は公辺の許可を得るの要あり。故に唯今の墓地に大きく石碑を造立し、周囲に石を畳みなどせば宜しからんとの議でござる……。

幽魂。石碑を大きくし、石垣をきずきめぐらすなどの事はおことはり申す。墓ならば二尺二寸にして七月四日とのみ記して、遺骨の上に建てて貰えばそれにて充分なり。

宮崎。そのような無造作むざうさなことにては後年又崇ることなきや?

幽魂。されば、神号を受けねば元の人魂ひとだまなり。崇らぬとも限るまじ。

宮崎。七月四日と祭日を定めて祭祀を行いても崇ることありや。

幽魂。神号なく、元の人魂のままならば、縦令たとえ従来の如く強く崇らぬまでも折ふしは崇りもすべく、又当家の守護も為し難し。若し又神号を受け清浄の地に鎮まることにならば今後は崇ることもなく却って当家の守護にも当るべし神号は墓地にては受け難し

山本。我社の相殿あいどのに鎮め申さはいかがでござろう?

幽魂。もっての外のことなり。その儀はたってお断り申す。畏れ入ったる業なり。

山本。末社に稲荷社あり、又仏閣も近き所に在り。いずれが宜しきや。

幽魂。末社仏閣いずれも好ましからず。他に清浄の寸地が欲しきものなれど、そは六ヶ敷むずかしき由なれば如何ともするに由なし、元の遺骨の上に建ててくだされよ。

宮崎。神号を受けたるからは、いかに墓地を清浄にすとも其所そこには居難きや。又石碑を大きくするのが悪しと言わるるは、何事か霊魂に差支ありての事か。

幽魂。いかに清浄にすればとて霊の位と其場所柄と相応せずば鎮まり難し又神号は墓地にては受け難く霊の位によりて其鎮る所各々異なるものなり社殿も石碑も相当せざれば居難きものぞ

宮崎。当家の主人も山本氏も御辺を神といつぐことには同意なり。されどしかするには公辺に願いて官許を受くること必要なれば、今後三年ばかりは御待ちあれよ。強いて事の早く運ぶようにせば、却って面倒とならむ虞あり。

幽魂。三年にても四年にても待つべし。かくて吾等を神にいつき、七月四日を祭日と定めくださらば、爾後は当家を守護すべし。その儀は重ねがさね依み置くなり。それはさて置き、先刻依みたる御剣行事を為し下されよ。

 く述べた時に夜もいたく更けて鶏鳴三度に及びました。

宮崎。折角のお依み承知致したり。よいには怪しき物と思いし故切りつけたれど、最早もはやその儀は無用なり。さらば御免。

幽魂。かたじけのうござる。

 とて一礼しました。そこで以前の如く御剣行事を為しましたが、此度こんどは慎みて両手を膝の上に載せてるのみでした。行事終りし時、暫時しばし御免とて燭台の火光にて大刀の切先より鍔元つばもとまで熟視しおわりて一拝しました。やがて一同に向い、

幽魂。さて各々にはいたく苦労をかけたり。先刻約せし通り、七月四日を祭り呉れなば、吾等いかでか悪しく酬いましょうぞ。市治郎も今日きょう限り、次第次第に平癒し、かくて七年の後には当家に吉事出来せむ。それを見て吾等が幽界より悦びて守護しる証とし、又神となりし徴なりと知られよ。――イザ出立せむ、各々門口まで送り呉れよ。

 く述べて席を立ち歩行する様は、血気盛りの若侍がヌサヌサと行くに異ならず、とても大病人の市治郎とは見えませんでした。列座の人々はゾロゾロと門まで送り出て、一礼しますと、彼は門前に立ち止まり、墓地の方に向いまして、

幽魂。吾等この体を離るる時、市治郎が倒れるやも計られねば、各々方にて彼をたすけて貰いたし。

と言うのでした。諸人その用意を為す間に、山本、宮崎の二人は神送りの秘文を唱え、又おはらいなど上げてうちに、果して市治郎は左に倒れかかりましたので、多人数にて扶け抱えて家に入りました。幽魂の離れた市治郎は真に大病人で、吉富医師等が羽毛はねで薬を唇に塗ってやりますと、そのままスヤスヤ睡ったのでした。