宮崎。更に問うべきことあり。ず武士たる身が父の許に行かずして人を悩ますこと、又二十二日の夕に遺骨のもとに一旦帰りながら再びげんみてここに帰り来れること、また山の芋を食い、又は一日塩の附きたる握り飯を却けたる事いずれも不審なり。一々明かに申し開かれよ。

と、ねて長吉と相談して置いた疑問を持ち出して質問しました。幽魂は少し考うる体にて

幽魂。武土たる身が父の許に行かれずして人を悩ます云々の件は宮崎氏のはらより出でたる言葉にてはなかるべし。父の遺言を果さずして切腹したる身が何とて父の前におめおめと行かるべきぞ。又二十二日の夕の事、山の芋の事、握り飯の事などは宮崎氏の知らぬことなれば、そを問わるる筈もなし。たとえ宮崎氏が知りたりとて、予を武士の幽魂なりと悟らざる前に問わるべき事どもなり。察する所こは一睡の間に傍より入智慧せしものあるべし。さらば今其許そこもとに詳しく答うるの要はあるまじ。入智慧したる当人を出されよ。直接語りきかすべし。

図星ずぼしを指しての返答に、宮崎氏も二言なく、長吉をさしまねぎて、此所ここに進みて委細承れとすすめました。あまり長談議ながだんぎわたりては病人のからださわりはせぬかと、心配する人もありましたが、主人は剛気ごうきの人で体に障っても構わぬと言い放つのでした。一座の押問答をきいて

幽魂。コレコレ各々方おのおのがたこえが高い、静かに致されよ。長吉の云う所も悪意からの言葉にあらず、我等われらよくさとしきかせむ。いざちこちこう!

 此時このときの幽魂の風釆威ありて猛からず、真に敬意を払うべき人物に見えたということです。長吉はその威に打たれて暫らくモジモジして居ましたが、しばしば促されてようやく市治郎の枕辺近くにじり寄ったのでした。

長吉。エー……此所ここでお話を承ります。

幽魂。されば長吉、汝の疑いは一応もっともなれど、ちとはらを大きく、耳を澄ましてよく聴けよ。前にも云えるが如く、凡そ山川に年経としふりたる禽獣虫魚、又大樹巨石の霊など、皆人を悩ます力あり。又生霊いきりょうとて、人の一念恨みある者の肉体にき、その人を悩ますこともあり。又死せし時の一念現世に遺りて人を悩ますこともあり。吾等は死ぬる時の無念やる方なく、その上死骸を打ち棄てられ、標示しるしの石さえ建てられざる事のくやしさに、かくは市治郎のからだを四十余日も悩ますなり。体を悩まされば其体を借り難く、市治郎の魂の在るべき所に我魂を宿して其耳、目、口等を借りるが故にかくの如く我が思いを人にも告げ得るなり。されどわれ等が邪鬼と疑われ、又野干のぎつねと思わるるも無理なき次第にて、宵のに宮崎氏の詰問に対し、わが怒りしはあやまちなりき。その場の事情は汝もわきからききてよく承知せる筈なり。汝は人を悩ますものは野干のぎつねばかりと思いるが故に疑念が解けざるぞ。考えても見よ。野干のぎつねが石碑の建立を望むものか。又野干のぎつねならば、神法もて加持かじを受くるに、退かずということあるべきか。吾に取りては大事の場合、又当家に取りても今後安否のわかるる所なれば、つらつら前後を考えてわが正体しょうたいを見届け呉れよ。嘘詐うそいつわりは申さぬぞ。

 山本氏は最初からの事情を知らざるに係らず、この物語をきいて大変感動してしまい、上座に居苦しかったと後に自白したそうです。

長吉。仰の通り貴下あなたは武士の幽魂に相違あるまじ。ただ武士の幽魂ならばナゼに父上の許に行かれませぬぞ。

幽魂。イヤイヤ武士たるが故に行かれぬなり、父の遺言を果さぬ身が、行けるか行けぬか、よく考えても見よ。

長吉。当家の祖父ならびに市治郎が其許そこもとの遺骨を蹂みたりとて、祖父を殺し、市治郎を大病人となす事、武士の幽魂の仕業とは受取り難し……

幽魂。ワカラヌやつじゃ。汝は人を助くるが武士の道なるに、人を殺しては道にはずれる、故に武士の魂ではあるまじと言うつもりであろうが……。

長吉。その通りでござる。

幽魂。前にも言えるが如く、縦令たとえ高貴の人たりとも無念に死しては世に祟ることあるものぞ。顕世の無念は顕世よりその道を以て解きて貰わねば霽らし得ぬものなり。されどかかる道理はいかに言葉を尽すとも汝などの耳には入り難かるべし。ただ当家の主人あるじが、先刻、市治郎のからだに障るとも不審の点は飽まで問えとのべたるは心地よき男子の言なり――さてさて汝が如きものを相手に言葉を交すも拙なき我身の運とあきらむる外なし。お何なりと疑いあらば問え。腑に落ちるまで諭してつかはす。

長吉。御侍おさむらいの身にありながら、山の芋はナゼに御食用ありしぞ。

幽魂はおぼえずプッと失笑したのでした。

幽魂。サテサテ可笑おかしき問じゃ。汝の問うこころは、武士の魂ならば何も食わぬ筈なるに、物を食えるは四足などの仕業と疑ふならむ。その儀ならばおしえてつかはす。他の方々かたがたには退屈なるべけれど暫らく許されよ。汝もよく知る如く、二十二日の頃市治郎ことに大病にて、一切食事を用いざるより、吉富(医師)をはじめ、家族のものどもが、何ぞ彼の好める食物はなきかと幾度となく勧めたり。しかるに市治郎が腹内には四五年前より病ありて、左の腹の痛むことは吾等よく知りたれば、人々の勧めに任せ、腹に障らぬ山の芋をばわざと食わせたり。此方こちらより勧めて食わしたるにあらで、ワイラが勧めて食わせしならずや。又武士は山の芋を食わぬという掟があるか。無論吾等幽魂なれば物を食わない。山の芋は市治郎の為めに食わしたのじゃ。

長吉。ナゼつまみておあがりなされました?

幽魂。コレコレ汝の問は、既に余を武士の幽魂とめた上の問いようじゃ。武士が物をう法式に相違するとて無礼をとがむる意なのじゃナ。汝は定めて山芋の食法の宗匠と見ゆる。百姓町人はくして食い、又武士はくして食うものと一々その作法が定まりてるものと見ゆる。ずそれから聞くことと致そう。それによりて吾等答える旨あり、く言いきかせよ。

 く言って膝を乗り出しましたが、その隙のない舌鋒には満座感心してしまいました。又長吉との問答中には言葉づかいも横柄で、国訛りが沢山混り「ワイラ」だの「ソイラの事もワカルメイ」だのと申したそうです。が、長吉は畢生ひっせいの智慧を絞り勇気を鼓して、お追求するのでした。

長吉。それにしても、塩を附けぬにぎめしを食われたるは何故か。元来狐というものは塩が嫌いなものじゃが……。

 幽魂は再び笑い出しました。

幽魂。さてさて疑いの深いことじゃ。成る程われ等七月四日以来塩の附きし握飯をただ一度は食ぬこともありしが、それを証拠に野干のぎつねなりとするは笑止の至りじゃ。何故われ等が食わざりしかは握り飯を吾が前に運べる女の事を考えて判断せよ。

 かく言って火入れをさすながら済ましたものでした。

長吉。ハテ握飯を運んだ女……判り兼ねますナ。

幽魂。されば握飯を作れる女は、その時月経があったのじゃ――女にそれを尋ねて見よ。

 と意外千万な言葉に満座皆驚かされました、早速女を呼んで訊きますと、果してその通りで、今度は月経が長く、既に六日目だとの返答でした。

幽魂。幽魂となりては月経を不浄とするにて、塩の附きたるを嫌ふのではない。し疑うならば塩を持ちて来て見よ、眼の前で食って見しょう。さるにても七月四日以来今日迄四十余日の間に、塩を食わざりしはただ一度なるに、それを証拠に疑をかくるは余りに愚の至りじゃ!

 さすがの長吉もとうとう閉口して頭を下げて詑びました。

長吉。わしわるござりました。

幽魂。イヤイヤ汝は元来疑の深きものにて、真実わが過失あやまちを悔ゆる趣はまだ見えぬ。最早もはや夜の明くるに間もなけれど、汝の疑の晴るるまでは何時までもこの座を動くまじ。さァとく尋ねよ、とく!

 と言って火入れを持ちながら、吉富医師と山本神職との間に進み入り、御免と言いつつ、ドッカと坐りました。満座の人々は大に興を冷まし、折角幽魂が退くに決したものを長吉が引きとめたので、んな事になったと口々に罵りますので、長吉も大に恐縮してしまい、畳に頭を擦りつけて詑び入りました。それで幽魂の気色もいささか和らぎかけました。