
新緑の季節になり、近県に小旅行に行ってきた。ささやかだが、元数学教師の妻の退職祝いである。

場所は、以前から行ってみたいと妻が言っていた「あしかがフラワーパーク」。平日だというのに混雑していてその多くは、インバウンド。容姿は日本人のようだが、聞こえてくる会話は日本語ではない。ここ数年、日本各地どの観光地に行っても外国人であふれている。笑い話だが、宿泊客が外国人ばかりの大阪道頓堀のホテルに泊まった九州弁のひどい爺さんが、方言が理解できない外国人受付カウンターに、「ここに日本人はおらんのか!!」と叫んでいた。それくらい日本へのインバウンドは凄い。

フラワーパークでのお目当ては、やはり藤の花。紫の花の房から漂う濃密な香りからも癒された気持ちになる。藤の紫色は日本古来より愛され多くの和歌にもうたいこまれており、高貴な感じがする。このフラパークには、それだけではなくツツジ、しゃくなげ、チューリップ、八重桜など、花について詳しくはないが広大な敷地いたるところ、丁寧に手入れされた多くの花が美しく植えてあった。
こうしている今も世界のどこかでは戦争が起き多くの無辜の命が失われている。テレビからは、とても衛生的には感じられない配給所に空の鍋を持って押しかけている人々の映像が流れていた。同じ地球にいて同じ世代を生きている我々は、平和で安全な環境におかれ、花を愛でることができる…。ふと、やりきれない気持ちに襲われる。もし、自分があの映像に映る一人だったら。今の平和で安全な環境は、今でも直ぐに壊れてなくなってしまう可能性を秘めている。

人は何故、水を眺めることで癒された気持ちになるのだろう。考えてみれば、我々は遥か昔海の中から生まれた生物。我々の体内も水分が60%を占めている。水がなければ生きいくことはできない。我々は水の化身?!水への思いは自然への畏敬の念でもあり、その清らかな水辺に静かにたたずむことにより、私たちの奥深く秘められたDNAが目覚め、自然との繋がりを感じることができるからなのかもしれない。