2024.1.26
先日、十年ぶりに従妹家族が訪ねて来てくれた。
その家族は東日本大震災時に被災地から避難してきて、ひと月近く共同生活をした。
あの時、頻繁に起こる余震と原発事故で将来のことに光を見いだすことができず、不安な毎日を過ごしていた。
まして、被災地から避難してきた家族にとっては、もと通りの日常が戻ってくるのか、3歳児と0歳児の幼子を抱えながら、どれだけ大変な思いをしてきたことであろう。
あれから13年、少しだけその当時の面影を残す幼かった子が、ここまで成長したことに心から嬉しく思えた。
帰り際に手を振る従妹の姿は、もう立派な母親になっており、その笑った顔は叔母にそっくりであった。
その笑顔は、私が相次いで両親を亡くした時に、心から寄り添ってくれた叔母の顔そのものであった。
新聞のコラムに、阪神淡路大震災の遺族が述べた追悼のことばの一部が書かれていた。
「寂しい時は鏡をみてごらん。笑った顔はお母さんそっくりだから。」
幼くして家族を失ったときに、母子寮の職員からかけられた言葉とのこと。
家族の時間を無くしても、鏡の中に母の顔を見つけることで、生き抜いていく。
私たちの体は、両親から受継いだ37兆個の細胞でできている。
たとえその存在がなくなったとしても、いつでもこの体の中で支え見守ってくれている。
さらに私たちには、陰日向となりながらも力になってくれる存在が必ずいる。
理不尽なことばかりが起こる世の中だが、それでも未来に起こることなどわからない。
前を向いて明るい未来があることのみを信じて進むだけ。
ひと月前に生まれた首のまだ座らない孫を恐る恐る抱いていたら、ようやく焦点の合ってきたつぶらな瞳でこちらを見て笑ってくれたような気がした。
嬉しくなった。
この子も娘に似てくるのかな。