「礼記-射義-」  再び・・・・・ | KenさんのBLOGS

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写真は記事とは関係なく,韓国の国弓博物館での絵です。古代の射会の様子です。


「禮記射義」再び
礼記-射義-
射は、進退周還 必ず礼に中り、内志正しく 外体直くして、 然(しか)る後に弓矢を持ること審固(しんこ) なり。弓矢を持ること審固にして、然る後に以って中るというべし。これ以って徳行を観るべし。
射は仁の道なり。射は正しきを己(おのれ)に求む。己正しくして而(しこう)して後(のち)発す。発して中らざる時は、則(すなわ)ち己に勝つ者を怨(うら)みず。反ってこれを己に求むるのみ。
全日本弓道連盟が発行する弓道教本第一巻 射法篇の巻頭に記載されています。

「禮記射義」については以前記事にしました。
礼記射義 詳解 http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/42373838.html

ある,弓道講習会の日程表です。
  9:00 集合   会長ご挨拶、日程説明
  9:10 礼記射義、射法訓、斉唱
  9:30 一手行射 審査方式(審査の間合い)
 11:00 全体講評
 11:20 基本研修
 12:20 昼食
 13:00 射技指導
・・・・・略
現在各地で行われている様々な講習会や昇段審査,試合の前に受講生や参加者は正座をして唱和を求められています。

果たして本当の意味を知って唱えている方は何人居るのでしょうか?

連盟の弓道教本には最初,巻頭には掲載されておらず、本文中で弓道の倫理性のヶ所で,中国の古文献「禮記」中の孔子の言葉として紹介されています。
特に連盟で取り上げられるようになったのは昭和30年(1955)の連盟主催の指導者講習会以降であるといわれ,巻頭に掲載されるようになったのは、昭和46年(1971)の改訂増補以降であります。

一つの歴史的な資料として取り上げるのであれば構わないと思いますが,それを全員で唱和するなど,見識ある方や,中国古典を学んでいる人,研究者から見れば,異常な集団としか見えません。
天子を頂点とした封建制度や階級制度,多民族国家に於ける身分制度,制服民族の奴隷制度を肯定する教えを全員で声を合わせて主張しているのですから。

資料を紹介します。
昭和八年三月に日本之弓道社より発刊された,桑村常之助著「大日本武徳會弓道階級試験問題」の記述です。
弓道篇 PP55-61
体配と観徳に就いて
 射を行う前後の態度と心術とを説いたもので,心からその教えを信奉する人とか,又は支那人として考えたならば,「射学正宗」の説くがごとき物となりましょうが,我々日本人から云えば一つの体配であると云うことはできます。
 元来体配は射に限る物ではありません,しかしながら体配はその技術を結果付けるに,至大の関係を持つものであります。,故に「内志正しく外体直く,弓矢を持すること審固,弓矢を持すること審固にして,後に中りを云う」などと教えるもので,「進退周還必ず禮に中る」とか,「揖譲して昇り下る」とか云う事は,其の行うべき技術と場合によるもので,射の上から云えば我が射禮に於ける,敷き皮の捌き方とか,履の脱ぎ方とか,又は数塚へのより方とか,弓の出し方目仕いなどの作法と同じ物です。支那と日本の風俗習慣を異にするのと,之を教えとして見るから如何にも大袈裟にも有難そうにも見ゆるものにすぎません。
 支那の国民としての禮の観念から云えば,「禮は国の大柄」と云って,新纂奪者(謀反人)は新府の民に対し,前統治者と異なった政治を行う為に用ゆるものであるから,国民としての支那人の禮とは,之に迎合する事を第一となすのであります。即ち新しい勢権者に対しても,従順にその命令に服するという心を,容儀や態度の上に現すことを第一に志します,従ってその際には心の誠を象に現すや否やは問題でない場合が多いのであります。
 故に支那人の云う大射とか,郷射とか又は効射とか云われる禮は,多くは時の天子や諸侯,即ち叛逆者又はその子孫の禮を奉じて,その武力を謳歌するにあるもので,之を観徳の射とも云います。射手自身の徳を観るものでなく,時の権勢者が部下を集めて射を行わしめ,自己の武威を示し,之を己の徳として観ることにも用いられるのであります。
 斯うした思想傾向は我が国にも伝えられて,武家政治となり将軍第一主義となり,ついには将軍は射禮射儀を定めて,地下の者にまでも之を行はしめたのであります。天子のことを行って将軍と云ったという意味は,結局禮を出したからであるとも云えます。
 
禮と酒とについて
中りについて説いたものであります。
己を正しくして射ると云う事は,志正しく體直く弓矢を持すること審固と云う,所謂体配を正して射る事であるから,中らなければ体配は正しくなかったと反省する。今日の弓人は中らなければ,引き込みは不十分だったとか胴は歪んで居たとか,つい放して仕舞ったと云う事と,別に変わった事はないのであります。
昇り下りて飲むとあるは,この飲むと云う事を負けた者は罰杯を飲むと解する人は多い,そうした解釈は支那人もしているし,またそうした事実は支那にも日本にもありますが,夫れだけでは意味は徹底しません。
これは,支那人の思想や習慣から来ているもので,支那では「禮は諸を飲食に始まる」=禮と云う事は飲んだり食べたりする事から,始めてあるものだ=と云って,酒を飲む事をその儘に禮と考えて居ます。酒は禮に始まり乱に終わると云う事も,酒は禮である事から出た言葉に相違ないのであります。
 故に支那では儀式の射には必ず酒を飲み,酒を飲んで射を行うから,夫れを禮射と云い,彼の諸侯には燕禮=酒を飲んで弓射る事=郷太夫の射には郷飲酒の禮=矢張り酒を飲んで射を行う事=と云ういものがあって,燕禮には君臣の儀を明らかにし,郷飲酒の禮には長幼の序を明らかにすなどと云っておりますが,皆な酒飲むことを禮として,飲んで射ると云う事に過ぎないのであります。
 斯うした事はいろいろに誤り伝えられて,我が国では支那の禮射に対しては勿論,我が射禮についても余程間違った考えを持っている人はあります。勿論支那人だからとて,酒ばかり飲んで禮を行はないと云うのではありませんが,併し支那の禮射も,周の時代の末期から戦国の時代を経て,久しい間全然行われなかったもので,其の文献のごときは彼の有名な韓退之すら読む事はできなかったと云われて居る位でありますから,後に起こった禮射や,我が国に伝えられて居るものなどは,悉く好い加減なものだと云えば云えないでもありません
以上です。
読んでいただければ内容は理解できると思います。
私の以前書いた記事も一緒に参考にしていただければ良いと思います。
礼記射義 詳解 http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/42373838.html
社会的背景や文化の異なる中で記述された「禮記」を,しかも一部分だけを切り貼りし,都合の良いように解釈して良いのでしょうか?
本当に識者から見ればおかしな事だと思います。恥ずかしいと思います。

決して連盟批判をするつもりはありません。私の見当違いかもしれません。ただ,事実を紹介し,変な方向に行かないように憂慮するだけです。