「ソギー…!…元気…でねー!私が…大人に…なったら迎えに…来てねー!!」


波音に掻き消されるジジの声が風に乗って途切れ途切れに聞こえてくる。

その声に応えるために船のデッキの手摺りから身を乗り出し手を振る。



「元気でなー!治ったら会いに来るからなー!!」


声が思うように出ないが、それでも力一杯叫んだ。

ジジと館長が俺の声に応えるように大きく手を振り返してくれた。ジジは涙でぐしゃぐしゃな顔に精一杯の笑顔を浮かべ、腕が千切れそうな程、手を振っている。





俺たちが彼の母国へ行こうと決めた時、問題は三等客室で俺の身体が保つかということだった。それでなくても三人が船に乗る為にはかなりの額が必要だ。

俺と姉さんがムーランルージュで貯えた金を使っても三等客室の代金に何とか手が届くといったところだった。


あの日…

姉さんは買い物に出掛けると言ったまま、夕方まで戻らなかった。

次の日、姉さんは三人分の一等客室のチケットを出してきた。

姉さんの上客だった船舶会社の会長に強請ってもらったんだと姉さんは舌をペロリと出して戯けて見せた。


「…姉さん…。」


姉さんが強請ったからと言って会長がタダでチケットを融通してくれるとは思えなかった。

 

きっと姉さんは…また自分を売ったんだ…。


申し訳無さに泣きそうになった。ムーランルージュから自由になった今、もう姉さんにはそんなことさせたくないと思っていたのに、不甲斐ない俺は何も出来なかった。

彼は姉さんのした事に気付かず、これで韓国で俺の治療が出来ると喜んでいる。

俺が口を開こうとすると姉さんは俺を見詰め小さく首を横に振った。

俺は口を噤むしかなかった。




港が遠く離れて行く。目に涙が滲んだ。

公爵とパリへ行くつもりだった時の凍てついた心では感じられなかった熱く切ない思いが込み上げてくる。

姉さんとムーランルージュで懸命に生き、彼に出会い、恋をした。悲しいことも楽しかった時間もみんな離れて行くあの街で経験した。思い出たちが走馬燈のように頭の中を流れていく。過ぎていった時間を惜しむように目を閉じ、俺は生まれ育ったこの街に別れを告げた。



そして…



俺は今、自生した草花が彩る小さな庭を持つソウル郊外の小高い丘に建つ平屋の小さな家に住んでいる。




韓国に着くと港には彼の家族が迎えに来ていた。彼の部屋で家族の写真を見ていた俺はすぐにわかった。

ご両親と弟に囲まれ照れたように微笑む彼は久しぶりに家族に会えて嬉しそうだったが、彼は家族への紹介もそこそこに俺を直ぐに彼の両親が経営する病院に連れて行った。

彼が大病院の後継ぎだということをこの時初めて知った。

港から病院まで行く馬車の中で彼が言った。


「病院の経営なんかより、患者と向き合う医者でいたかったんだ。

だから、弟に後継ぎの役目を押し付けて逃げるようにドイツに留学したんだ。」


弟のヨンホさんは自国で東洋医学を修めていて、自由奔放な兄とは対照的に両親の病院で医師として勤めているとのことだった。


「帰って来いと散々手紙を貰ったが、どうしても病院を継ぐのが嫌でな。

今思えば、子供じみた行動だった。反省している。」


彼は照れ笑いを浮かべ、俺たちに言った。


「お前の治療はヨンホにしてもらう。住む所は郊外にあるうちの別荘だ。手紙で頼んでおいた。」


彼の言葉に姉さんが溜め息交じりに呟いた。


「何から何まで、貴方にもご家族に申し訳ないわ。」


俺も傍らで頷くしかなかった。


結局、両親に俺たちと一緒に住むのは外聞が悪いと、彼は実家に連れ戻されてしまい、この家には俺と姉さんで住むことになった。

俺は入院こそしなかったが、別荘からの通院は俺の負担になるからと、直ぐに内科専門のヨンホさんが診療に訪れてくれることになった。


彼は病院で働き出し、まだまだ韓国で外科医は貴重な存在であることも手伝って忙しい彼と会うことはままならなかった。


そんな中、俺にずっと付き添っていた姉さんにヨンホさんは恋をした。


何度帰国を即しても帰らなかった兄が俺の為に帰国した。ヨンホさんは、俺が恋人の弟だからだと思ったようだった。

けれども半年もすると、姉さんが兄の恋人ではないとヨンホさんは理解した。姉さんも次第にヨンホさんの気持ちを受け入れ、二人は結婚することになった。


結婚式を明日に控え、彼の父親の親友の家で姉さんは一晩過ごし式場に向かうことになっていた。

大病院の息子であるヨンホさんと親の居ない姉さんの結婚を恙無く纏める為、俺たち姉弟を養子にしてくれた人の家だ。俺も身体はまだ元通りという訳ではないけれども、結婚式にはどうにか出席できそうだった。






庭で一人遠くに見えるの山々を眺めていた。


「一人になっちゃったな…」


ぽつりと言葉が零れ落ちた。

義父の家に行く姉さんを見送った後、そのまま庭のベンチに座り、俺はぼんやりとしていた。


最後まで姉さんは俺が一人になることを心配して俺も連れて行こうとしたが、新婚家庭に転がり込む程、無粋じゃない。

体調も大分良くなったから一人でも何とか生活出来ると説得し、一人になる不安を心の奥に隠して姉さんを送り出した。


最近は彼がこの家に来る機会もめっきり減り、本当にこの家に一人になったと実感した。

俺と彼の関係は秘密だった。両親にも周りの人々にも認めてもらえそうもないのがこの国の現状だ。

それに姉さんたちの結婚が決まってから、彼には一度も会えていなかった。もはやこんな病人の俺を見限ったのかと俺は誰にも言えない不安な気持ちを抱えていた。

膝を抱え胸の内に蔓延る孤独感と戦っていると丘を登ってこの家に向かって来る人影が見えた。彼だった。







長編ドラマ部門男性最優秀演技賞
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ううっ
ヘビ食って蟹も食って
ホントに頑張ったもんなー。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

本当におめでとー❤️