馬車の窓から街並みを眺めていた。
潤む目からは歪んで見える風景も俺の心とは裏腹に活気に溢れている。
彼と食事をしたカフェは市場を訪れた人々で賑わい、ジジの店ではジジの親父さんが汗をかきながら客を捌く姿が見えた。
辛くても幸せな日々だったと柄にもなく感傷に浸っていた。
ゴホッ…
また咳が出た。公爵に気付かれないようにハンカチで口元を覆った。
港に着き、船に乗ってしまえばもう俺を戻すこともできなくなる。せめて船に乗り込むまでは病いのことを隠さなくてはと思った。
この病いがどういったものかわからないが、病人が公爵の寵愛を長く繋ぎ止めておけるわけがない。
手折られた花は愛でられ、枯れたら打ち捨てられるだけ…
公爵が俺に飽きたら、あとはパリで野垂れ死ぬだけの運命だ。それでも構わなかった。姉さんとも、彼とも二度と会えないのだから…。
それならば無為に過ごすパリでの時間はいっそ短い方がいい。
ぼんやりとそんな事を考えていると、公爵が話し掛けてきた。
「もうすぐ港に着く。ソギは私の身の廻りの世話をする使用人ということにしておいたからね。」
確かに俺のような男娼は確かに紳士淑女と同じという訳にはいかない。所詮、公爵の愛玩動物は部屋で主人の帰りを大人しく待つだけだ。
「船の中ではたっぷり可愛がって、パリに着く頃には私だけの淫らな人形にしてあげよう。
退屈しないように君の為の玩具も用意してあるからね。ディナーには同席させられないが、客室で私を待っている間、それで遊んでいなさい。」
公爵は俺の内股に指を這わす。敏感な処を撫でられ身体が勝手に反応する。
公爵が用意するものは俺を弄ぶものだと決まっている。うんざりしたが仕方がない。公爵が喜ぶ痴態を晒して気の済むまでこの身体を嬲らせればいいだけだ。
ムーランルージュという鳥かごから公爵が用意する檻に住むところが変わっただけ。やる事は何ら変わらない。
俺は笑みを浮かべて曖昧に頷いた。
荷役夫の怒号が聞こえてきた。次々と港に着く船から荷が降ろされ、新たな荷が積まれていく。俺の沈んだ心とは裏腹な喧騒の中、馬車は客船のタラップ近くに停まった。
公爵に手を取られ馬車の足掛けに一歩踏み出した。顔を上げるとタラップの前には海風に髪を靡かせた彼が立っていた。
「……!」
驚きのあまり声が出ない。俺の様子に視線の先を追った公爵が眉を顰めた。
「あれは…あの医者か?」
名前すら記憶に留めなかった公爵は訝しげに呟く。俺たちが馬車から降りると彼は近寄って来た。
「…ソギ……。」
名を呼ばれ、胸が苦しくなる。もう会えないと諦めていただけに、姿を見れただけで喜びが込み上げる。駆け寄りたい衝動を辛うじて抑えた。
「何の用だね?私達はこれからパリに発つのだよ。」
また、邪魔されたら叶わないとでも言うように公爵は俺の肩を抱き寄せた。
「知っている。そのパリ行きを止めてもらいたい。
いや、ソギを連れて行くのを止めてもらいたい。」
俺の肩を抱く公爵の手を見ながら彼はいきなりとんでもない事を言った。
「君は懲りないね。わかっているのか?私はソギを身請けしたのだよ。
ソギは私の物だ。もはや君には口出しする権利すらない。」
鼻で笑った公爵は彼を蔑むように睨んだ。
「わかっている。だからこの通りだ。」
彼が膝を折り地面に擦り付けるようにして頭を下げた。