肌寒い朝の空気を感じ、薄っすらと目を開けた。暖炉の火は消えており、ゆらゆらと細い煙が煉瓦造りの煙突に吸い込まれていくのがぼんやりと見えた。部屋の中は冷んやりとしていた。
俺は寝返りをうち、近くに感じる温もりに無意識に頬を擦り寄せていた。


「…擽ったいだろ?」


頭の上から聞こえた声に驚いて目を見開いた。寝惚けた目を擦った。自分が頬を擦り寄せたのが彼の上半身裸の胸の温もりだったと気がつくのに数秒かかった。


「わぁ!ごっ…ごめん!」


慌てて彼から離れた。顔が一気に火照る。眠れないと思っていたのに、彼の温もりを感じている間に知らず知らずのうちに寝入ってしまったようだ。慌てふためく俺を彼は笑いながら見ていた。


「丸まって擦り寄ってくるなんて。まるで猫だな。」


また、いつものように髪をわしわしと撫でられた。寝乱れた髪が更に乱される。とても彼の顔を見ていることが出来ず包まっているシーツに顔を埋めた。


「子ども扱いするなよな…。」


照れ隠しにいつものように可愛くない言葉を吐く。けれども、彼はそんなことは気にも留めずに言った。


「さて…お前も起きたことだし…まずはお前の着る物を買わないとな。シーツに包まったままじゃ何処にも行けないしな。」


彼は勢いよくベッドから起き上がると、暖炉の前で乾かしていたシャツに袖を通した。寝覚めが良いのか、もうすっきりとした顔をしている。


「ついでに朝飯も買ってくる。何がいい?」


俺はと言えば、まだ少し眠気が残るぼんやりとした頭を何とかはっきりさせようとしていた。シーツの下は何も身につけてないし、引き千切られたシャツを着ることも出来ない。役に立たないシルクのシャツが無雑作に椅子に掛けられていた。
服を買って来てもらわないことには起き出すことも出来そうになかった。


「何でもいい…。」


申し訳なさと、照れ臭さと、ほんの少しの幸せを感じながら、俺は小さな声で返事をした。


彼が買って来てくれた洗いざらしの綿のシャツに袖を通す。少しごわついた肌触りが何故か心地よかった。

一緒に買って来てくれたパンと昨日の残りのスープ。それにオレンジが二個。細やかな朝食でも二人で食事をすると本当に美味しかった。

ずっと、ここに居られたら…

そんなことをぼんやり考えながら、パンをちぎった。


「なあ、ソギ。」


「…ん?…何?」


彼に話しかけられ、慌てて返事をした。


「隣りの水呑場に馬が繋がれてるんだが、あれはお前のか?」


「あっ!そうだった!俺、馬でここまで来たんだった…」


すっかり馬のことを忘れていた。彼のもとへ運んでくれたというのに…
俺の返事に彼は訝しげに一瞬俺の顔を見たが、直ぐに笑顔に戻した。


「なあ…遠乗りに行かないか?馬に餌もやらないとじゃないか?」


彼の有難い提案に俺は頷いた。


「ああ…そうだね。何か食べさせてやらないと可哀想だよね…。でも…市場には…」


俺は言葉を切った。市場の近くにはムーランルージュがある。誰かに街に戻っていることを知られたくなかった。


「それに俺、乗馬は覚えたてで、そんなに遠くまで走らせるなんて出来ないよ?」


ここまで来れたのだって奇蹟に近い。
俺が俯くと彼は察してくれたのか、言葉を続けた。


「任せろ。俺は国ではよく馬に乗ってたんだ。市場に行きたくないなら郊外の牧場へ行こう。」


彼は爽やかな顔で笑った。


食事を終え、水呑場まで行くと栗毛の馬は大人しく繋がれていた。彼が近寄ると馬は小さく嘶いた。彼は優しく馬の背を撫でた。言った通り馬の扱いには馴れているようだった。


「見事な馬だな。こいつなら二人で乗っても大丈夫そうだ。」


慣れた仕草で馬に跨がった彼は、馬上から俺に向かって手を差し出す。一瞬戸惑ったが、思い切って彼の手を握った。
彼は俺の手を強く握り直すとぐっと力を入れ、俺を馬上に引き上げてくれた。彼の後ろに跨がる。


「ほら!俺の腰に腕を回せ。少し走らせるからな。しっかり掴まっていろ。」


彼が馬の腹を蹴った。俺は慌てて彼の腰に腕を回した。馬は軽やかなステップで走り出した。