最初は些細な事だった。
朝、ムギョル宛に小包が届いた。
真紅の包みを開けてみると、一目で高級品と分かるクッキーやらキャンディの詰め合わせが出て来た。
起きて来たテウンが駆け寄って来て、ピョンピョン跳びながらテーブルの上の物を見ようとしている。
そんな、テウンを抱き上げムギョルは添えられていたカードを開いた。
添えられたカードはジョンインからのものだった。
『先日はバレンタインのチョコレートをありがとうございました。
テウン君のおやつにもなるかと思って選びました。
二人で食べてください。
ジョンイン』
「うわぁおいしそー」
「テウン、ちゃんとご飯も食べるなら、おやつに一緒に食べような。」
ムギョルとテウンは菓子の詰め合わせを見て嬉しそうに話している。
俺はカードを見て思わず言ってしまった。
「ムギョル、お前、弁護士にチョコレートをやったのか?」
「メリのバレンタインの買い物に付き合った時にさ、メリが言ったんだ。
ジョンインがチョコレートを欲しがってるって。
メリもあげるって言うし…
小さな箱に六個入ってただけのを買ってメリに渡してと頼んだんだ。」
ムギョルは、さも大したことではないと言うように呟いた。
「それにしちゃあ、大したお返しだな。」
少し嫌味な口調になってしまった。
ムギョルが顔を上げた。
「何…?何か言いたそうだね?」
ムギョルの眉間に僅かにシワが寄った。
「今だに弁護士にチョコを渡してるなんてな…」
売り言葉に買い言葉だった。
俺は余計な事を言ってしまった。
抱いていたテウンを降ろしたムギョルが俺を真正面から見た。
「はっきり言えよ。俺とジョンインの仲を疑ってるのか?」
僅かに声を荒げるムギョルにテウンが目を丸くした。
「言っとくけど…
俺の手作りチョコを食べたのは、テウンとガンペだけだからな!」
ガンペに鋭い一瞥を投げたムギョルは寝室へ入ると大きな音を立て扉をバタンと閉めて閉じ籠ってしまった。
「あっぱ…怒っちゃったね……」
テウンがしょんぼりと俯いた。
ムギョルを怒らせてしまった。
しまったと思った時には遅かった。
「ぼく…おなかすいた」
テウンの朝飯もまだだった。
この分じゃムギョルは出て来てくれそうにない。
「俺が作るしかないのか…」
俺の呟きにテウンはちょっと困ったような顔をした。
「おっきいあっぱのごはん…」
テウンが心配そうに呟いた。確かに旨くない俺の料理。
ムギョルが熱を出して倒れた時に俺の飯を食べたことがあるテウンが心配するのも無理ないことだった。
「我慢しろ。とりあえず食えるもんを作るからな」
テウンは諦めたように頷いた。
朝飯が出来たと声を掛けてもムギョルは寝室から出て来なかった。
テウンと二人だけの食事を済ませると、普段している遊びに格好つけてテウンにムギョルの様子を見に行かせた。
着替えもまだ済ませてやれてないテウンはパジャマのままだ。
だが、テウンはそんなことは気にも止めず、俺からの指令に目を輝かせてムギョルが籠ってしまった寝室のドアを開けた。
暫くすると俺たちの寝室から出て来たテウンが、たたたっと足音を立てて駆け寄って来た。
胡座をかいて待っていた俺の前に立つと律儀に敬礼した。
「たいちょー!
あっぱのようすをみてきました!」
「テウン隊員。報告を頼む。」
「あっぱはおっきいあっぱのことをおこってるっていってましたっ!」
しかめっ面を作ったテウンがちょっと困ったように言った。
「あと、おきがえしてこうえんにつれてってもらえっていってました!」
敬礼したままテウンはムギョルの言葉を復唱している。
「でも……」
言葉を切ったテウンはニンマリと笑った。
そんなテウンの様子に俺はちょっと期待を籠めてテウンの言葉を待った。
「てうんのことはおこってないから、
おひるねはいっしょにしてくれるっていってました!」
俺はガックリと項垂れた。俯いた俺に憐れむようにテウンが言った。
俺の肩に小さな手を置いたテウンがポンポンと励ますように俺の肩を叩いた。
ムギョルが居ないとテウンの着替えすらままならない。
テウンに言われるがまま、出してやった服を何とか着せた。
お気に入りのリュックを背負ったテウンと手を繋いで公園までの道程を歩いた。
「このまえ あっぱに なわとびおしえてもらってね……それでね……」
テウンはムギョルのことばかり話している。
本当にテウンはムギョルが好きだ。
そのうちテウンとムギョルの取り合いになるのではないかと思ってしまう。
あり得なくもない未来を思い描いてしまい、俺は思わず苦笑した。
公園に着くと、子どもを連れて来ていた母親たちがテウンに声をかける。
「テウンくん、今日はアッパは一緒じゃないの?」
「まあ、伯父さんと来たのね?
アッパはお出掛けしたの?」
「きょうは おっきいあっぱときたのー
あっぱはねー
おっきいあっぱとけんかしてねー……」
慌ててテウンの口を塞いだ。
「ケンカしたの?」
「まあ、何でケンカしたんですか?」
「いや…その……」
矛先を俺に変えた母親たちに閉口していると、
一人の母親が俺に話し掛けてきた。
「あの…これをムギョルさんに…」
多分手作りであろうクッキーが入った袋を渡された。
「バレンタインにチョコの作り方を聞かれて教えたら、ムギョルさんが上手に出来たからって、教えてくれたお礼にと、うちの子にお菓子を貰ったので…」
「ああ……」
俺は頷いた。
バレンタインの日、テウンと二人で食べたチョコを思い出した。
手作りだと言ってたな…
俺たちが食べるのを嬉しそうに見ていたムギョルが思い出された。俺がぼんやりと物思いに耽っているとまた話し掛けられた。
「他にも色々な料理を教えてくれって言われて、ここにいるみんなで教えたんですよ。
ムギョルさん、母親の代わりもしなきゃだからって笑ってましたけど…父親だけって大変だわと私言ったんです。」
その母親は一旦言葉を切るとニッコリと俺に笑いかけた。
「兄が一緒に育ててくれるから大丈夫だって、ムギョルさん嬉しそうに言ってたんですよ。」
母親は俺の横に居たテウンに向かって言った。
「頼りになるおっきいアッパがいて良かったわね。」
「うん!!」
テウンは力強く頷くと友達のところへ駆け出して行った。
気恥ずかしくなった俺は母親たちに会釈すると、少し離れたベンチに腰掛けた。
ポケットに手をやったがタバコを忘れたことに気付き、軽く舌打ちした。
テウンは背負ってきたリュックからキャンディを出して友達に配っている。
ムギョルが用意したものだろうと思うと切ない気持ちになった。
母親たちに交じり孤軍奮闘しているムギョルが思い浮んだ。
元気に遊ぶテウンはムギョルからの愛を一身に受けている。
俺たち親子に献身的に尽くしてくれるムギョル…
ムギョルへの愛おしさが込み上げた。
タバコを忘れたことより、つまらない嫉妬をした今朝の自分に舌打ちしたい心境だった。
無性にムギョルに会いたくなった。
小一時間ほど我慢してから、まだ遊びたいと言うテウンを連れて俺はマンションに戻ることにした。
帰り道にムギョルの好きなキンパの店でキンパを買った。
二食続けて俺の飯ではさすがにテウンが不憫だった。
それに朝から何も食べてないムギョルに何かを食べさせたかった。
マンションに戻ると、もどかし気に靴を脱いだテウンがキンパを持って寝室に飛び込んでいった。
扉の前を通り過ぎる時、僅かに二人の笑い声が聞こえた。
溜め息を吐いた俺はリビングのソファに寝転んだ。
キンパを食べ終わった二人が寝室から出て来た。
やっと出て来てくれたかと思ったが、
ムギョルはこちらを見ようともせず、二人はそのまま子供部屋に消えた。
「ガン…ペ…!起…て!…き…て…!」
うっかり眠ってしまったようだ。時計を見るとほんの一時のようだった。
目の前にムギョルの顔があった。
「ムギョル……」
笑顔を浮かべたムギョルの顔にホッとした。
「反省した?俺はジョンインと浮気もしてないし……」
何か言ってるがもう俺は聞く余裕が無かった。
ムギョルを引き寄せ強引に口づけた。
「…んっ…んん……」
今日一日ムギョルに触れることが出来なかった。
塞がれた唇から甘い吐息を洩らすムギョルに俺の中の渇望が溢れてくる。
重なるカラダから伝わる温もりがムギョルを求めさせる。
そのまま唇を滑らせTシャツの首元から覗く鎖骨に口づけ顔を埋ずめた。
「…悪かった……」
ムギョルの肌に唇を押し付けながら俺は呟くように詫びた。
「ふふ…。反省したなら許してあげる。
それにテウンがね…」
ムギョルの言葉に俺は顔を上げた。
俺の上からカラダを起こしたムギョルに腕を引かれる。
「おっきいアッパが寂しそうだから、自分はいいからおっきいアッパに添い寝してやれってさ。」
俺は思わず苦笑した。
ムギョルに腕を引かれ寝室に向かう。
振り返ったムギョルが艶然とした笑みを浮かべた。
「添い寝してあげようと思うけど……ガンペはどうしたい?」
妖艶な問いかけに理性が吹き飛んだ。
引かれていた手を握り返すと寝室の扉を開け、放り投げるようにベッドにムギョルを沈めた。
ムギョルのカラダに覆い被さりながら俺は答えた。
「テウンの好意を無駄に出来んからな…」
ニヤリと笑った俺を笑みを浮かべたムギョルが軽く睨んだ。
「ガンペ…ホントに反省してる?」
愛しいムギョルに赦しを請う。
「ああ…海より深く反省してるぞ?
だから添い寝してくれ…」
戯けて答えていたのに最後は真面目な声色になってしまった。
今日一日テウンと過ごして、腕の中のムギョルが如何に俺たち親子を愛してくれてるか痛いほど感じた。
「弁護士みたいな気の利いたお返しは出来ないが…
こんな俺がお返しでいいか?
俺を受け取ってくれるか?」
ホワイトディに何も用意できない無骨な自分が情けなかった。
「大丈夫だよ…。俺が欲しいのはいつでもガンペだけなんだから…」
ムギョルは俺の首に腕を回し引き寄せると優しいキスをくれた。
「あっぱ!おっきいあっぱ!
おっきして!なかなおりした??
きょうは おじいちゃんちいくんでしょ?」
テウンに寝室の扉をバンバン叩かれ二人で跳び起きた。
慌てて服を着る俺を、ムギョルはシーツに包まりながら笑って見ていた。
「そんなに慌てなくても…
鍵は掛かってるし、テウンはお利口だから待ってられるよ。」
「そうか?なら…」
もう一度ムギョルの側にいき、その唇にキスをしようとした。
「だけど、もうダメ!支度しないとね。
会長がきっと首を長くして待ってるよ。」
俺のキスを遮ったムギョルが俺に手を差し出して来た。
引き寄せるようにベッドから起き上がらせると、腕の中に来たムギョルがやんわりと俺にキスをした。
「お返しありがと。嬉しかったよ。
いつもより激しかったし…」
ふふっと笑ったムギョルは俺の腕をすり抜け服を身に付け出した。
まったく…ムギョルには敵わない…
ムギョルを再び押し倒したい衝動を抑え、ムギョルが服を着たのを確認すると寝室の扉を開けた。
寝室の前で待っていたテウンがムギョルに抱きついた。
「テウンも着替えたら出かけるか?」
ムギョルに抱かれたテウンの髪を撫でると俺は長かった一日を思い出し苦笑いした。
「オッパ!本当にこれと同じものをムギョルに送ったの?」
カフェでホワイトディのお返しを受け取ったメリがジョンインに問いかけた。
「そうですよ?いけませんか?
これを見たガンペさんはどうしたでしょうね?」
ジョンインはニヤリと笑った。
「ガンペさんがヤキモチ焼くってわかっていて送ったのね。」
メリが呆れたように呟いた。
「結婚生活は甘いだけではつまらないですからね。たまには少しのスパイスがあった方がいいと思ったんですよ。
まあ、あの二人には必要ないかもしれませんけどね。」
イタズラが成功した子供のようなジョンインの顔に、メリも呆れながらもそれもそうかもねと笑いながら頷いた。
ジョンインはコーヒーカップを手に取った。
ムギョルさん、素敵なホワイトディを…
ガンペに愛され幸せに微笑んでいるであろうムギョルに思いを馳せながらジョンインはコーヒーカップを傾けた。