たいして野良猫を知らない僕が、もっと知らない人に向けて書いた…
野良猫って?
そんな感じの事です。
現在個人でのTNR活動を少し行っている程度の中年男です。
実質は妻の始めた活動から始まり…
見聞きし共に行動する中で動物に無関心であった人が色々考えたり思ったりした事。
野良猫に関わるというのは大変な事です。
知らんぷりしたいです。
押し付けあいたいです。
責任転嫁したいです。
数年前始めてTNRに関わった当初。
妻の行動に反対であった僕の心情がここに至るまでは時間がかかりました。
(色々で共働きでもなく経済的余裕もないですし)
相互理解が出来ないピーク時には心身の疲弊も続き病的な時もあったり離婚危機なんかもあったり…
その頃に比べたら大分気持ちは落ち着きました。
現在は。
関わって良かったと思えるようにもなりました。
ちなみにTNR活動とは簡単に言うと、そこに居る野良猫を捕まえて避妊去勢手術をして元の場所に戻す一連の行為です。
不幸な猫をむやみに増やさずに一代の命として見守る行為です。
勿論色々な意見もありますが、動物愛護の視点からも推奨もされている事も多い、野良猫と人との歩み寄り、共生の形です。
保護猫活動というのもあるのですが。
そちらは地域を含めた協力した環境対策だとしたら、TNR活動は個人で行う野良猫を増やさない為の活動です。
TNRの場合当然個人の活動なので色々あります。
勝手にやってる事、ですからね…
…TNRをやるには。
捕まえる猫を決める。
必要であれば捕獲器を用意する。
捕獲場所に近づくように簡易な餌付けなどを一定期間続け様子を見る。
捕まえられそうな時に捕獲器をしかけ捕まえる。
又は自分で捕まえられるくらい慣らす。
(弱っている、大人しい、子猫、等では可能)
野良猫の去勢手術をしてくれる病院に連れて行き手術を受ける。
(ウチは車が無い為公共の手段、徒歩や自転車やタクシー、電車等)
手術費用を支払う。
(地域や病院により援助がある場合もあるが1万円から4万円を目安)
引き取り元の場所に戻し様子観察を続ける。
可能ならば里親等、引き取り手を探しながら見守る。
引き取り手が見つかった際にもお願い費用がかかる場合も勿論あります。
様子を見る期間、自宅で保護するのか、外での餌付けを続けるのか、そういった居場所、糞尿の事等で理解を得られない場合が多々。
しかし…
TNRを推奨されていたりしても。
愛護法の内容が動物に優しくなっても。
県や市町村が野生動物との共生や協力の理解を謳っていても。
TNRに関わった事でのその後にトラブル等があっても、行政等が守ってくれる事は余りありません。
これはどういう事でしょうか。
野良猫に餌付けをしている事は迷惑行為となっています。
厳密には、餌付けをしている事により居着いた猫による行動等により被害を発生させる事です。
損害賠償請求に発展することもあります。
きちんと善悪がはっきりとしています。
餌付けをしている人や、それに正統性を主張する活動をしている人は…
愛護→愛誤
と呼ばれる事もあります。
それらも理解している上でこの記事を書いています。
人のルールの社会で人の都合で捨てられた猫には居場所がありません。
何とか食べ物を探して、何とか暑さ寒さを防ぎながら苦しみながら過酷な余生を生きていきます。
野良猫と呼ばれます。
野良猫には居場所がありません。
人の都合で作った社会の中で、まだまだ野生動物との共生のルールがきちんと整理されていないからです。
食べ物を探して何かを漁れば汚いといわれます。
糞尿をすれば臭くて迷惑だと言われます。
寒さをしのぐためにどこかに居たら保健所に通報されたりします。
又はどこかに追いやられ次の居場所を探します。
「可愛いね」と餌をもらったりもします。
でも安心した猫がそれ以上近づいたならば「来ちゃ駄目」とはね除けられたりします。
死んで骸となれば嫌な顔をされます。
事故、衰弱、病気、虐待。
何にしても酷い最後を迎える猫が多くいます。
それまで何もしなかった人や、非難してきた人にも、時にはその死後の姿を見られ「酷い…誰が」「可哀想」なんて言われたりもします。
死して尚。
生きていても苦しい事ばかりです。
ただ生きているだけで迷惑と言われるのです。
しかし自分で死ぬ事も出来ません。
人が殺せば犯罪です。
生きる事も死ぬ事も出来ずに居場所もありません。
もし人であったなら…
自分であったなら…
子供であったなら…
どう考えるでしょうか。
何故、野良猫が居てはいけないのでしょうか。
臭いから。
汚いから。
衛生的によくないから。
物を傷つけるから。
鳴き声がうるさいから。
嫌いだから。
人にはそれぞれの価値観があり事情があり大切な事柄も優先順位も違います。
それはそうだと思いますし、それ以上もそれ以下も無い事実です。
そして同様に、そこに生きている命があればまた何かがあるのも事実です。
ある程度、仕方なくないですか。