祖母を見舞う


父から、祖母が年を越すのは難しいかもしれない、と連絡がありました。


祖母は100歳を超えており、先月末に食事が摂れなくなり入院しています。


老衰でいつ心不全が起きてもおかしくない様子なので、弾丸日帰り帰省してきました。


下の子も行くと言うので、一緒に🚅


コロナ禍以降、会えてなくて、5,6年ぶり。


ほっぺが落ちそうにふっくらして、タレ目🐼のかわいらしい祖母が、骨と皮だけにやせ細っていて、記憶にある姿の面影はありませんでした。


点滴で栄養を摂り、酸素マスク、痰の吸引の機械をつけて、目が開けられない状態の祖母、話しかけた声に反応するように口を動かしたり、笑ってくれました。


下の子は、数年前に義父が亡くなった体験があるからか、病人のような姿に大きな衝撃を受けることなく、「ひいおばあちゃん」と話しかけて、手を握っていました。


長生きが幸せなのか


義父が早い年齢で認知症になったり、高齢社会を思うと、医療が発達した今は、死ねない時代だな、と感じています。


家族としては、どんな状態でも生きててほしいだろうけど、自分がそうなった時、どう死にたいのだろう?と考えたり…。


点滴で命をつなぎ、家族が付き添うことで異変に気づきやすくなり、時々顔を歪める祖母に、頑張ってと思うことも言うこともできませんでした。


祖母は長生きしたかったのかな?

普段ちっとも顔を見せない親戚が続々と面会に来ることは嬉しいのかな?

「痩せてしまって…頑張って」、と声をかけられることをどう思ってるのかな?

ふくよかで朗らかに笑っていた頃に去りたかったんじゃないかな??


帰路で色んな思いが交錯して、孫としては生きててほしい、と思うけれど、本人の尊厳?として、長く生きることは幸せなのかな?と考えてもわからないことを考え続けています。