今日は闘病から離れた母娘関係の投稿です。


母はお手伝いさんが何人も居るとても裕福な家庭の長女で育ち、私には理解出来ない感覚を持っていて、反りが合わなく、殆どご飯を作ってもらった記憶が無く、とにかくワガママ、子供たちが自分の思うようになるのが当たり前で、その感覚に付いていけなかったです。


父、私が小学低学年から父が包丁の使い方に始まり料理を教えてくれ、早くから料理が大好きになりました。

困ってる人を助けてあげるとその人は笑顔に変わるんだよとか、些細な事で人と喧嘩せず許せる人になりなさい、とかたくさんの事を話してくれました。

豪快で頼もしく何でも出来て、友達もたくさん居て慕われ愛に溢れた本当に優しい人でした。


母、優しい人なんだけど成長すると共に母親って、って疑問を持つように。


だけど、自分の家庭しか知らない子供たちは自分が如何に幸せ?か気付けなかったと最近思うのです。

そして、いつまで私は過去に縛られて生きるの?

馬鹿なんじゃないの?と気付くのです。

何故なら私自身が裕福に育ち欲しい物は何でも買ってもらえる、働きお金を稼ぐ大変さ、大切さを知らずにずっと生きてました。

自分が物理的に恵まれてると全く分からなかったしお手伝いさんも居て全てが当たり前でした。

時代や環境は違っても受け付けられない母なのに、なんなら私の方がワガママ贅沢三昧だったと近年まで気付かなかったのです。



今、母は80歳です。

幸いにも健康です。

そして母に向き合って行く事を考えるようになりました。

何故反発ばかりしてきたんだろう。

何故勝手に気の合わない人と決めつけていたんだろう。

一生母の子供なら、母に対し子供のままで居ようと。

割り切る事を務めてるうちに、母のトゲトゲしさや押し付けが無くなり始め、今、母への意味の分からないストレスが激減しているのです。

私ももう5月で55歳、そして孫が居るおばあちゃんです。

しかし母に対しては子供のままで居る事で良しとしよう、私ももう大人だよ!って意地はらないで、母が求めていただろう私で居ようって。


毎日ご飯作って届けて、ひとみちゃんありがとうって笑顔をこれからも見ていきたいなって。

とても美味しかったよ、ありがとう、ご馳走様って必ずラインくれて、素直に嬉しい事だなって。


大好きだった亡き父に親孝行出来なかった自分は、母にこんな形で親孝行する事で、父も喜んでいてくれるだろうなと思うのです。


ブログに途中から鍵をかけてしまってる箇所がありますが、私のブログに最初から関わってくださった方々にお伝えしたく、この事を綴りたいと思いました。


親子だから難しい事がある反面、親子だから少しの行動や気持ちの切り替えで修復していける事もあるのだろうと最近思うのです。

勿論修復不可能な関係がある事は理解しています。

人間関係はとても複雑で難しい。

ただ、私の場合、物凄くつまらない事で母娘の絆を崩していってたのは自分じゃないか?もしそうじゃなくても歳をとった母よりまだ自分が変わっていける余地があるじゃないか?ってある日ふと思ったのです。


これも色んな病気をしなきゃきっと気付けず、母がこの世から居なくなってから一生お母さんごめんなさいと思いながら生きて行く自分の姿が浮かびます。

自分がそこそこ元気な55歳なら母の事を疎ましく思ったまま出来るだけ関わらず生きて行こうと思っていたと思います。

私の人生だもん!みたいな状態で。


感謝、ありがとう、素直に言える事を教えてくれた父にまた感謝です。

自分がつまづいたり悩んだ時に、こんな時に父ならどうする?と考える癖が付いていてあせる



今現在私は動けない時間が長いのです。

そのおかげで色々な事を考えられるようになれて良かったと思っています。

そして持病克服目指して前をしっかり見て、決して後悔の無いようにと思ってますにっこり飛び出すハート


また、自分が物理的に恵まれていた事、贅沢ではなく当たり前という感覚しかなかった事を告白したのはこのブログが初めてです。
感じ悪いと思われた方、それくらいで?や、で何?と思われた方、色々と思います。
自分の心境の変化のきっかけが闘病生活である事だけでもご理解いただけたらと思いますビックリマーク


数少ない父の写真。
会いたいな。
いつも空から見守ってくれてありがとう。