年上の方々と仕事をして最近よく思うことがある。
自分への戒めとして覚えておきたいと思うのは、年齢を重ねるとまず自分の引き出しと自分のもの差しで物事を考えてしまうということ。経験を重ねているから当たり前のことで、必ずしも悪い意味ではないのだけど、自分のような創作の仕事の場合は、あまり良い面は少ないのではないかと最近思う。

色々な人たちを見ていて、目の前のことに対処するには自分の引き出しでしか応えられないが、その引き出しをいつのまにか増やそうとしないことが大きな問題なのではないかと思うようになった。

若い頃は沢山のことを猛スピードで吸収し引き出しを増やしてきたけど、まあ人にはキャパってものがあると思うので、同じスピードで引き出しの数は増やせない(笑)

この引き出しを増やせないって年齢にそのうち自分もなるのだろうが、そこが分かれ目じゃないかなと。

引き出しの数を以前のごとく増やすのは不可能ではないにしろ、大抵の人にとってそれはとても難しいだろうし、私も既に自分にそれを感じるときがある(いいのか?)。それでも、引き出しの中身を書き換えることはできるんじゃないかと思うのだ。

この数日のあいだに印象に残ったことからすると、

例えば若い頃は、ペーペーだと思われないように、ハッタリが必要だった。ハッタリばかりの毎日で疲弊してたほどだ。

そんな話を先日、全く異ジャンルの分野の大学教授と話をして、若い頃はハッタリが必要ですね、どこも同じですね、なんて盛り上がった。


でも、今、私にはハッタリは必要ない。(もちろん状況によっては今後も必要かもしれないけど)全くといっていいくらい必要ない。

今の私にはハッタリより謙虚さだ。

沢山重ねた経験から今出せるものを、ハッタリではなく謙虚さを持って出す。

このような引き出しの書き換えをしていく年齢に差し掛かったんじゃなかろうかと。


なんて真剣に考えたりする今日この頃。


全ての人は鏡だ。