真夜中の日蝕 くろはた出張所

真夜中の日蝕 くろはた出張所

アメブロには変なこと書けないのでゴク真面目なことだけ書きます


野村玲子版Evita Live盤を聴いたのだが。
チエ役芝清道って相当酷く曲を改編してますよね。

自分のノリで自分が気持ち良い感じで歌うのってやめて欲しい。

 次に書く記事の資料として事前に公開しておく。
 以下に挙げるCDを資料として使用した。
 記載した年は初演の意味では無い。


The Sound of Music 参考資料

 

 1 Mary Martin オリジナルブロードウェイキャスト盤

 2 Jean Bayless オリジナルロンドンキャスト盤

 3 Julie Andrews オリジナルモーションピクチャーサウンドトラック盤

 4 大地真央 東宝版日本キャスト盤

 

 番号、マリア・ライナー役役者名、版名 の順


Evita 参考資料

 

 1 Julie Covington オリジナルコンセプトアルバム

 2 Elaine Paige オリジナルロンドンキャスト盤

 3 Patti LuPone オリジナルブロードウェイキャスト盤

 4 久野綾希子 スタジオキャスト盤

 5 久野綾希子 日生劇場ライブ版

 6 Florence Lacey  ワールドツアーキャスト ハイライト盤

 7 Madonna オリジナルモーションピクチャーサウンドトラック盤

 8 Elena Roger リバイバルロンドンキャスト盤

 9 Elena Roger リバイバルブロードウェイキャスト盤

10 Rachel Zegler  リバイバル ロンドンキャスト ハイライト盤
 

 番号、エビータ・ペロン役役者名、版名 の順
 野村玲子版は未入手。

 瀬戸花まりさんコンサート。セルリアンタワー東急ホテル39階タワーズサロンルナール。14:00開場 15:00-16:45。

 Vol3 ということだが Vol1 から全部来ている。
 宝塚知らない人は「誰だそれ」な感じだろうけど、Googleれ。wiki 私が生舞台観たのは『プロミセス、プロミセス』と『NEVER SAY GOODBYE』だけ。

 

 ピアノは 土屋恵さん。今回はアコーディオン演奏無し。楽器奏るのはピアノとアコーディオンですと帰りに訊いた。CD出してる。

 

 

 

 ゲストに瀬戸内美八さま。

 美八さまには私の横に立って肩に手を置いて歌っていただけました。目を合わせてだよん。最高じゃん。


 コンサートのお土産をいただきました。

 

昔、金子修介という監督がミュージカル映画を作ったことがある。『恋に唄えば』という奴だ。

 

予告編の動画を掲載している人が居たので貼り付けるが、平成ガメラを作った割りによくまあこんなにも酷い物を世の中に出した物だと思った。まず、始まってから随分経たないと歌も踊りも出てこない。ミュージカルシーンが出てきてもモブダンサーの外人さん達は密集隊形で町の中を歩き回るだけ。「お前らは新左翼のスクラムデモ隊か(参照:ジグザグデモ)」と映画見てて思ったね。

ただエンディングシーケンスだけは良かった。そこだけ。

 

と最近出てきた三菱地所のCMを見てその映画を思い出してしまった。「そんな映画は見てないことになっている」と思い込んできたのに記憶を引きずり出されたのだ。

 

Google で検索すると作者は 田中秀幸と言うらしい。
このシリーズのダメなところは広い敷地なのに人を密集させているところ。これがとても気持ち悪い。密集させる必要性を感じない。全員の顔も動きも見えない、ってか歌ってないようにしか見えない。
イギリス映画を見て勉強しろ。『Oliver! 』の『Consider Yourself』のシーンと比べて見ろよ。Netflix版『Matilda』の『Revolting Children』を見ろよ。あんな映像がすでにある段階でこんなにもチープな画像を見せてどうするんだ。

 

 

 

 

『ライトノベル大全』著者は url 参照。人数多いので。

 


 ライトノベルって何だ? 本書はこう書いている。
『ライトノベルの定義は多岐にわたりますが、本書ではその特徴を「アニメや漫画のイラストを積極的に採用し、キャラクター性と物語性を深く追求した小説」として捉えます。』
 これは完全に間違った定義(特徴)である。
 だって、なろうやアルファポリスを始めとするネット小説は確実にライトノベルだが絵は無い。絵が無くてもライトノベルだろう。
 「アニメ・漫画のイラスト」は「書籍化された暁には何故か付与されている」オマケのような物だ。それに挿絵が付いていることは特にライトノベルに限った話ではないではないか。本書に於いても悪役令嬢破滅回避の雛形となった『謙虚、堅実をモットーに生きております!』(ひよこのケーキ箸)が取り上げられているがそれが証拠となる。これはその後のライトノベルの潮流を作った作品だが書籍化されておらず、すなわち表紙絵も挿絵も無い作品だ。絵はライトノベルの必要部品では無い。
 後半の「キャラクター性と物語性」についても疑問を持つ。これは前半の「アニメや漫画のイラスト」に引きずられた特徴だろう。

 

 私はライトノベルを次の4つの点で定義できると考える。
  ①小説であること
  ②ハードでは無いこと
  ③メジャーで無いこと
  ④情報の大量消費者向けであること
 

 ①の理由は必須。漫画やアニメの段階ではそれがオリジナルであってもライトノベルではない。あくまで小説であることが必要だ。更に言えば小説の形式であれば良いので漫画やアニメのノヴェライズもライトノベルだと私は考えるが本書では対象外扱いのように見える。本書の欠陥の一つである。

 『機動警察パトレイバー』のノヴェライズ(伊東和典)や派生小説(横手美智子)をアニメが無かったと仮定して読んだらどうだろうか。ライトノベルと言わないか?

 『天地無用! 魎皇鬼』『天地無用! GXP』(梶島正樹)もアニメありきだがアニメ自体が作品世界のごく一部であったと認識できる。前述と同様にこれも元アニメなど無くても立派なライトノベルである。なんといってもこの作品はなろう系小説群の「ハーレム物」のハシリでは無いか。


 ②ライトノベルは軽い必要がある。重かったり固かったりしてはいけない。一日も掛けないで読み切れる分量であり、難しいことは書いておらず、文章も易しい、深い知識は不要であり、自分の頭で考える必要がないことを求められる。これはとっつきやすさを意味していない。

 歴史改編架空戦記物の荒巻義雄『紺碧の艦隊』がライトノベル扱いされないのは軍事ネタを多量に持ち得ていないと楽しみが半減することにある。ハードルが高めだ。

 

 ③大御所作家がライトノベルを書いてもそれはライトノベルと認められない。元々売れている作家が書いても「それっぽい」小説でしか無い。

 岩井志麻子が今『ぼっけえ、きょうてえ』を書いてもライトノベルではないが、大賞受賞前にそれをネットで書いていたらどうであったか? 恐らくホラー系ライトノベルとして認識されていたのでは無いか。酒見賢一の『後宮小説』はその後の日向夏『薬屋のひとりごと』の源流だと思うがあの作品自体もファンタジー大賞を受賞していなければライトノベルと分類されていたのでは無いか。

 田中芳樹『銀河英雄伝説』はギリ、ライトノベルだろう。新書版当初は1ページ2段組という文字数多めだったが、文庫本化されてライトノベルになった。それに直木賞他メジャー受賞は出来てない作家だよね。
 

 ④ライトノベルの読書対象者は誰かという解である。それは「情報の大量消費者」という定義に於ける「ヲタク」が作品の対象になっていることである。本書の定義にある「アニメや漫画のイラストを積極的に採用」というのはヲタク文化の象徴と言える分野との接点である。これを認識すべきであろう。読者対象が情報の大量消費者であるから内容は軽くなくてはならず自身のマイナー系を肯定するべくメジャーであってはならないのだ。
 ヲタクのための小説、それこそがライトノベルなのだ。

 

#軍事ヲタクにしか読めない作品はライトノベルでは無い ②の裏付けである

 

 本書の作りは非常に雑である。記者それぞれが好きな物を書いているだけで一貫性が無い。分類が年代別だけなのでライトノベルという分野の全体概要が掴みにくい。幾つかの大きなコラムがそれを救い出そうとしているが失敗している。本の総括者が居ないのでは無いかと邪推する。この本を元に更に強力なライトノベル大全を作成して欲しい。

 

 となんだか否定的な書き方をしているが、この本、各学校の文芸部に一冊在ると便利だし図書館にも欲しいところだ。読みやすい小説への導入には最適だと考える。
 

『貴族転生 ~恵まれた生まれから最強の力を得る~』原作:三木なずな 挿絵:kyo 漫画:華嶋ひすい

アニメサイト

https://kizoku-tensei.com/

 

コミックス

 

小説

 

三木なずな、ようやくアニメ化で報われた。三木なずな氏は wikipedia にあるように中華民国(俗に言う台湾)の作家。小説家になろうサイトで作品発表して何らかの都合で作品を引っ込めるとかいうことも繰り返している多作家である。


多作なので出来不出来が激しいがこの作品に限っては設定はちょっと酷すぎと思わないではないが、作画も良くようやくまともなアニメ作成会社に出会えた感がある。
2話目エンディングでのEDへの流れが良い。

 

 

三木なずな嫌う人が多いんだけど、これだけめげずに書き続けられて漫画原作の仕事も勝ち取ってるんだから認めるべきだと思うけどな。
俺はまだ、本気を出していない』を15分2話形式でアニメ化してくれないかなぁ。切に。

  ジェリー・ハーマン(Jerry Herman ミュージカル作詞作曲家)の作品について書こうとするとどうしてもミュージカルの歴史について触れざるを得ないのだが、ここは思い切ってサラッと流す。"Hello, Dolly!"(1964), "Mame"(1966), "Mack & Mabel"(1974), "La Cage aux Folles"(1983) が代表作。映画の世界では1965年でまともなミュージカル映画が終焉、1970年代になると舞台ミュージカルも暗い物が多くなっていく。

 そんな時に "Mack & Mabel" という作品を作ってしまったのだ。ハーマンは主人公に "Movies were movies" 映画は映画だった "You'd get a happy ending" 幸福な終わりが約束されていたと言わせる。
 ライザ・ミネリ(Liza Minnelli)の主演映画 "New York, New York" では ジョン・カンダー(John Kander) フレッド・エッブ(Fred Ebb)  が書いた劇中劇でも次のように歌う。

"Happy endings all around me
Happy endings all I see are
Happy endings on a silver screen
That's Hollywood!"

『私の周りはハッピーエンド

見えるものみなハッピーエンド

映画の中ではハッピーエンド

ハリウッドはね』

 ミュージカルを暗くさせていったのはカンダーとエッブのせいではないかという気も少しするが映画自体、劇場ミュージカル自体、暗鬱な物が増えていていた時代だった。ハーマンもやる気をなくしてたんじゃないかと思うような作品が "Mack & Mabel" だった。ヒロインの最期はライザ・ミネリの母ジュディ・ガーランド(Judy Garland)を想起させたし私的には神田沙也加と重なって見える。

 それを覆したのは "La Cage aux Folles" だったと思う。また楽しい作品が戻って来たのだ。

 ゲイナイトクラブのオーナーとその花形歌手というゲイカップルに育てられた息子が結婚すると言い始め、なんとその相手の女性の両親は堅物政党の重鎮だった。さて息子と彼女は結ばれることができるのかという話。何度か映画にもなったあの話のミュージカル版。舞台ミュージカル版は大声で笑って泣いて楽しい気分で劇場を去れる作品になっていた。

 アルバン(Albin 主演 ゲイの女装(?)歌手)の歌う "I Am What I Am"(ありのままの私)はゲイ賛歌とされる名曲だが、私はこれよりも "The Best of Time" を強く推したい。

 息子の恋人と彼女の両親を家に迎え入れるのだけど食事を出せなくなってしまい近くのレストランに皆で行くことになる。ここで "The Best of Time" を歌うのだがこの構成が楽しい。最初はアコーディオンとアルバンのソロで始まる。途中で楽器が増え2回目のターンでレストランの女主人とのデュエットになる。そして店のスタッフが参加し客達も参加し始め、アルバンのパートナーや息子と恋人、恋人の母上も参加。とうとう堅物党の父上もセッションに登壇。これでクライマックスかと思えば、舞台の人達が客席に向かって手拍子を呼びかける。何度も同じ歌詞を聞かせて貰っているので客もまた手拍子しながら立ち上がり歌に参加する。
"Now, not some forgotten yesterday.
Now, tomorrow is too far away.
So hold this moment fast,
And live and love
As hard as you know how.
And make this moment last,
Because the best of times is now,
Is now, is now."
『忘れちゃった昨日のことじゃなくて、今。
随分先の明日のことじゃなくて、今。
この瞬間をしっかり抱いて、生きて、愛して、できる限りの力で。
この瞬間を大切にして、だって今こそが最高の時なんだから。』

 

 

↓凄く楽しい

 

↓おまけ ジャッカスクルー版

 

エルファバがトロツキーで、グリンダがスターリンだとか書いたら、何も考えてない人達は怒るんだろうな。

 ラブコメ好きのくろはたです。

 

 『正反対な君と僕』阿賀沢紅茶箸 全8巻。現時点でアニメ放送中。

 

 アニメのOP・EP はアニメソングらしい歌であり、手間の掛かった非常に高品質の動画である。一旦停止を繰り返さないと何が描かれているのか見切れないではないか。

 

 

 

 

 

 この作品は認識論(「認識とは何か」という意味では無く「認識が存在を規定する」という意味での)によって成立した物語である。

 コミックス人物紹介画像の巻毎の進化を見てみよう。

 


 巻毎により人物の名前が増えていっていることが判る。これはストーリー内で名前が公開されるのと同時である。最初は谷も鈴木も名前が出てこない。相手の名前を呼び合って始めて悠介・みゆが登場する。
 最終的にこれがこうなる。


 名前が漫画の中で出てきてから人物紹介に記載されるのである。それまでは全員苗字のみなのだ。

 なんと、アニメ版でもこれを踏襲しているようだ。

 この作品の基本的な姿勢がここにある。人は認識できて始めて存在が確定できるのである。

 

 その典型例が第一話である。もしここで鈴木が谷に

「好きーッ!!!!」と言わなかったとすれば、彼女の好意は存在しないのと同じままに日常が過ぎていったことだろう。この姿勢はこの漫画全体に貫き通されている。自分の気持ちなど相手に認識されなければ判らない、だから話してと作者は言い続ける。

 

 私がOPを絶賛するのはそのテーマ自体を何度も提示して、それを観ている人に知らしめようと努力しているからだ。存在と認識の関係性を問いかけてきている。

 

この漫画を読んだ読者なら謎に思うガバチョの存在がある。

ガバチョの名前は最後まで明かされない。鈴木や谷にも認識されず最初から最後までアダナのみで読者にも認識されない。この漫画の中にすら存在しないのかもしれない。

 

 ★組 観劇。
 個人的には主題歌は初演・再演版のままの方が良いけどそれはさておき。


 『ひきこもりっ子の最後のセリフを思い出せばいつでも泣ける』って前から言ってましたが今でも大丈夫というのが確認できました。乾き目対策には良い方法かも。

 背景動画ほとんど見てませんでした。前面キャストの方に目を奪われていました。

 

 主人公とロビンちゃん上手い。コーラスでのみんなの歌、いつもながら上手い。てか今回みんなダンス上手くない? ヲタダンス面白すぎない? 一休さん役、子役さん、動き凄くない?

 

 「ロビンちゃん」の名前ネタって今でも通じますか? 「だって女の子だもん」って大丈夫ですか? ←は毎回思ってしまう。