とあるコラムで、自分の仕事はAIに奪われると思うけど、自分はこの仕事が好きだから、もう少しだけ仕事を奪わないでくれっていうのを読んだ。その人のお仕事は「整理記者」という仕事で、見出しを付ける仕事との事。私は恥ずかしながら、そういう仕事が存在する事は知らなかった。新聞には当たり前に見出しが付いてるもんだから、それを作ってる人が存在するみたいな当たり前の事に意識が向いていなかった。
何の気なしに読んだコラムだったけど、面白かった。そりゃそうだよね、見出しを作るような人は文章が上手いんだろうなって思った。
自分にはその仕事しか出来ない、エクセルだって満足に使えないから、他で働けない、みたいな自分を卑下するような事を書いてたんだけど、仕事が好きだと書ける事が私にとっては羨ましいなと思った。
まぁ、確かに生成AIはすごいなと思う。絵にしても文章にしても、数秒で結果を出すし、すごく自然だと思う。
でも、私はAIが数秒で作り出した見出しではなくて、彼女が考えた見出しが読みたいなと思った。そういう仕事が存在するという認識をしてしまったし、その仕事をプライドを持ってやっている人が居ると知ってしまったから。
世の中って多分、そういう仕事がほとんどなんじゃないかと思う。認識されてなくて、あって当たり前で、そこに携わってる人間が居るなんて当たり前過ぎて意識が向かない仕事(私の仕事もそういう仕事だから)
それでも必要だからその仕事をやっていて、毎日その仕事に1日の1/3を費やしてたりする。別に1人居なくなっても、世の中は何も変わらないけど、影響を受ける人は必ず居て、その人にとっては「なくてはならない人」だし、「じゃあ、代わりにAIでいっか!」とはならないと思う。
よく芸術だとか文学とかって、「それでお腹は膨れない」とか「存在する意味は何なんだ」みたいな話になるけど、そういうものがない世界はきっとつまらない。ある人には必要のないものなのかもしれないけど、それ以外の人達には「なくてはならないもの」だったりする。あって当たり前過ぎて、存在価値が低いものとして扱われてるけど、絶対にそうではないと思ってる。
そして、そういう芸術とか文学とかって、いくら人間と同じように出来たとしても、AIではダメなんだろうなと思う。多分、そういう感覚みたいなものは人間同士でしか分かんない、言語化できないやつなんじゃないかなと思う。多分、整理記者みたいな、人間の心を短い文章で惹き付けようとするみたいな芸術とか文学に近い仕事はやっぱ人間がやった方がいいんじゃないかなーと思う。
って思いながら読んだんだけど、私が読んだそのコラムが生成AIによって書かれたものだったら、途端にSFチックだなーとか思ったのもまた事実だったりする。