おはようございます。

 

ウィークデーはどうしても睡眠不足になってしまっています。

その理由は、日課。

 

日課を作る事で、目的を感覚的にであっても達成する事に喜びを感じる私です。

今でしたら、

・英語のシャドーイング(教材2つ)

・日本語から英語への英訳

・自宅での比較的シンプルな筋トレ

・アプリを使ったAI英会話

・ブログを書く

を、早朝と夜、及び、日中の滞空時間にこなします。

 

語学を含めて、私にとっての日課は筋トレ。

フィジカルなそれも、勿論そうですが、それをする事で自分自身が感覚的に「仕上がっていく」雰囲気を感じられて、それは気持ちがいいものです。

 

しかし、この日課をこなす事を意識し過ぎると、日課ありきになってしまって、当初の目的から大幅に逸脱してしまう。

その当初の目的とは、例えば英語の場合であれば、杉田敏先生の言葉の引用ですが、「英語で雑談が出来るようになる」こと、そしてその先にある、「普通にビジネスの場で英語が使えるようになる」という事。

 

「何があっても日課をこなす」という点にフォーカスすると、それそのものが目的化してしまい、日課の「こなしかた」というか「内容」がおろそかになってしまう。

そんな経験はないですか?

 

なんの為の日課なのか、という事を、妙に焦って事に及んでいる自分に気が付いた時は、常に問います。そうしないと、日課を「予定通り」こなした事が喜びになってしまって、なんだかおかしい事に。

 

でもなぁ、問いただす事も度を超すと「怠け心」につながる。

なんとバランスをとる事の難しい事か。

 

とするなら、寝不足になっても、何とかその日にやるべき事をこなそうとしている自分を、少しは褒めてあげてもいいのかなぁ。

 

今日も一日、ファイトファイト!