暗号資産(仮想通貨)の闇売買に関する記事が日本経済新聞電子版に出ていました。

その際に改めて、暗号資産ってなんなのだろうと、考えました。

 

資金決済に関する法律第2条第14項に暗号資産の定義が記載されています。

その内容を含めて分かり易く解説したものが、日本銀行のホームページに存在します。

定義の部分のみ引用しますと、

1)不特定の者に対して、代金の支払い等に使用でき、かつ、法定通貨(日本円や米国ドル等)と相互に交換できる

2)電子的に記録され、移転できる

3)法定通貨または法定通貨建ての資産(プリペイドカード等)ではない

です。

※「暗号資産(仮想通貨)とは何ですか?」https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/money/c27.htm

2024 日参照)

 

暗号資産に関しての私見を求められた時、私は回答に窮します。

なぜなら、発行主体や中心的な管理者が存在せず、信用のよりどころは、正に世界中に利用者がおり、その利用者が信用している、という点に集約されます。分散型台帳技術が信用の裏付けになっており、分かる人にはわかるし、わからない人にはわからない世界のお話です。

 

そもそも、日本銀行券の保有に価値を見出す理由は、日本銀行法で強制通用力が保障されている(法第46 条第項)事と、その価値が安定していて、発行者に対する信頼(健全性)を、日本国民のみならず世界中の人達が持っているからです。そして、金本位制を採用していない現在においては、正に「無形」の「信用」が全てです。

もっとも、我国の国力や、国民を含めて保有している対外純資産、徴税余力を鑑みた時、「無形」ではないという事ができると思います。

 

一方で、暗号資産の場合は「信用」の所在が、改変する事がほぼ不可能と言われる分散型台帳技術にあるとするならば、それも「無形」の信用ではないと言えます。

しかし、私が未だにしっくりこないのは、結局のところ改変困難な履歴の蓄積に唯一無二性という価値(法定通貨よりも安価な資金決済手段として利用できる)を見出しますが、それ以上でもそれ以下でもない訳で、その技術基盤はとんでもなく凄い事なのですが、その財産的価値の乱高下を鑑みると、明らかに投機的要素が大きく、その動きを主導する事象は何か、という事へ思いを馳せた時に、「安全」なのかなぁ、と思ってしまうのです。

 

無論、日本銀行券にしろ米ドル札にしろ、それ自体が有する価値は微々たるものであり、それ自体が様々なモノやサービスとの交換手段として問題なく利用できる事に価値がある訳です。だとすると、発行主体が存在しないけれども、例えばビットコインに代表される暗号資産を保有する主体が、交換手段(資金決済手段)として価値があると信じて当該暗号資産を利用する事と、実は大差はありません。とすれば、国家という枠組みの中で諸々の公的サービスを受けている事が当然だという現代へのアンチテーゼを、暗号資産という手段が示しているのかもわからないです。

 

とするなら、暗号資産は「安全」なのかなぁ、という事と、日本銀行券は「安全」なのかなぁ、という事は、同じ土台の話であり、だとすると、資産分散の観点から暗号資産を保有するという事は、理に適っている事になりそうです。

もっとも、暗号資産を保有していて良かった! という世界が仮にやって来た時に、その世の中がどんな風になっているのかが、私には創造できません。あまり創造したくないと思うあたり、保守的な人間かもわかりません。そんな私なので、現在は暗号資産を保有していませんが、今後は、もしかしたら社会勉強レベルで保有する可能性を示唆します。


利益が出たら雑所得か…