今日は朝8時過ぎに起きました。

愛用の魔法瓶に沸騰したお湯を入れたのちに、毎日欠かさずしている英語の勉強を始めました。本当は暖かいコーヒーを準備したかったのですが、豆を切らせてしまい、今日は我慢です。

その時間から13時30分位までは語学漬けで過ごしました。やるべきことを全て終わらせたのち、14時前後にレトルトカレーの昼食を頂きながらアマプラで劇場版名探偵コナンを見つつ、心地よい休憩時間を過ごしていたのですが、脳に負担がかかったのは明白で、食事の後に睡魔がどんどん襲ってきて、何時位からかは忘れましたが、そのまま無意識と思われる世界へ心地よく誘われ、かなり周囲が暗くなってから目が覚めたので、若干やってしまった感がある中、風呂上がりの現在これを書いています。

 

それはそうと、今日の円ドルはかなりの値動きでした。

為替相場を見ていてつくづくと思うのですが、通貨の価値というものがよくわからない。

 

チャート上には1ドル幾らとの表示が出ます。

しかし、これはあくまで円をドルと「交換」する際の比率であって、2国間の問題です。

お互いの通貨の交換価値の比率は分かったけれども、それが各々の通過の「価値」を表しているのか、というと、それは違う。

何故なら地球上に存在する国家(共同体)の多くが通貨を発行し、円とその通貨を交換する為には、個別に定められるそれら通過との交換比率に従う訳で、この時点で通関の価値は相対的です。

 

加えて、通貨を沢山保有していたからと言って、生活に困らないのかというと、そうではない。

あくまで、円の強制通用力を日本国が法律で認めている、という「信用」に基づき、今手元にある銀行券とか硬貨とかで、現在の相場観でモノが購入できますが、通貨の信用は絶対的な真理ではないですし、そもそも、通貨は交換する為の「道具」に過ぎませんから、交換の対象であるモノ、例えば食料が大幅に少なくなり、一般に出回らなくなるような状況に仮になったとすると、交換の道具に過ぎない通貨を保有する事の価値は大きく減殺され、大昔のように「モノ」そのものの保有に価値が見出されます。

 

その最たるものが現状は「金」ですが、仮に食料が地球規模での減少に見舞われると仮定すると、「農地」「牧場」「漁場」などの「現物保有」が価値の源泉となり、今後も安全資産と言われる「金」の存在価値が維持されるなら、「金」が交換手段の主軸へと再度成っていく。

 

というのはかなり終末論的な感じがして極端ですし、主観的にはその様な世界は考えたくありません。

 

いずれにしても、通貨の安定は国民生活の安定に直結します。

円が今でも安全資産だと言われる由縁はいろいろですが、その時点の円高が純粋に円の真の強さを表している訳ではなく、その時点の円安が純粋に円の弱さの裏付けという訳でもないです。

為替が安定していることが、一番の通貨の強さだと、思わないですか?