学生さんが就職活動に接するに際して、最近は採用企業側が、明確なキャリアプランを明示する事で、自分自身の将来像をイメージし易くしている様子が伺えます。

 

確かに、この会社のこの部署で働きたい、という明確な意思に基づいて採用面接に臨み、その企業の一員になれるまではよかったけれども、まったく想定しなかった部署への配属を命ぜられたとするならば、その人にとっては当初の目的が果たせなかった訳で、急転直下な意気消沈の可能性があると思います。

 

その意味では生産年齢人口グラフの左側、あるいは下側が減少し続けている事が、これから採用される側にとっては大きなメリットになっています。「その企業」に入ること自体が目的ならばともかく、特定の部署やチームへの関心のみに突き動かされる方々にとっては、受験する大学の学部学科を事前に選択するのと同じ様に、自分自身の希望や将来像(キャリアプラン)と事前に真摯に向き合い、企業側もその前提で、面接受検者のポテンシャルの程度を何かしらの尺度で判断してチームに加える訳ですから齟齬は生じにくく、最近流行りの「静かなる退職」という現象をかなりの割合で抑えられるのではないでしょうか。

 

最近の若者は恵まれているよね…などと捻くれてしまう就職氷河期世代な私です。

その当時は第二次ベビーブーマーが一斉に市場社会という氷海への門を叩き、完璧なる買い手市場の中で、企業は人材を企業目線で厳選する事は勿論、企業目線で配属を決めていたと強く推察します。一部例外を除いて新入社員の意思が考慮される事は少なかったのではないでしょうか。サラリーマンとは辞令一枚でどこへでも赴任する仕事と揶揄される(た?)位ですものね。

 

確かに将来を見据えたキャリアパスを、採用する側がしっかりと準備をして採用される側のニーズの応えるのは、素晴らしい事ですし、あるいは時代が否応なしに要求した方便なのかもしれません。

一方で、私が若干なりとも危惧するのは、採用される側、すなわち学生サイドが、いま流行りの、いわゆるジョブ型雇用に対して、どの程度しっかりとした認識があるのか、という事です。

 

その道のエキスパート、場合によってはスペシャリストを目指す、という事は、一点豪華主義ですから、当該の分野に対して企業的に、更には社会的なニーズが存在する限りにおいて確実に重宝されます。しかし、昨今の異常なまでの世の中の変化のあり様を鑑みた時に、果たしてジョブ型雇用で採用されることが、長期的期にメリットなのかわからないのです。

 

無論、だからこそ、その会社に属している間は携わる業務内容が明確なのがよい、何故ならばその道のエキスパート(候補)として、その会社以外での選択肢を簡単に考え得るから、という発想があると思います。

あるいは、その会社で、その道のエキスパートになった(あるいは近づけた)段階で、別のエキスパートになるべく進路を変更する、という考え方もあってしかるべきです。10×10は100ですものね。

ただ、勿論正解は無いのですが、何か、学生時代とは全く環境が異なる世界への船出に対して、いま流行りのタイパ重視宜しく、自分自身で、ミクロでは会社という組織、マクロでは社会全体に対する視野を狭めてしまっていないだろうか、などと考えてしまうのです。

 

そういう意味では、総合職採用というのは「あり」だと思います。ゼネラリストは今では流行らないかもしれないですが、「総論」に触れる事ができます。その間はご自身の余暇に将来キャリアを見据えたキャリア構築を意識して、それから各論を意識しても、遅くはないような気がします。

 

が、そんなタイムパフォーマンスに劣る行動はZ世代には許せないでしょうね。

その通りです。だって人生は「有限」なので。

この事実を明確に認識した上でのジョブ型雇用選択の方々、恐れ入ります!