車の定期点検が11時45分からあり、余裕をもって自宅を出発しました。

結果として15分ちょっと早く目的地に到着してしまいました。性格上、約束の時間に遅れるのは好きではないのですが、先方の予定を鑑みれば早すぎるのも好ましくありません。少しだけどうするかを考えましたが、ごめんなさい、時間調整はしない事にしました。

 

先代は、昭和のクラシカルな言い方をするならばカー吉(車好き)で、様々な外国の車を乗り継いでいました。この場に具体的な車名は挙げませんが、少なからず感慨深く思った事は、その一覧の中には、私が遥か昔の学生時代にカーグラフィックという雑誌に掲載されていて初めてその車名に触れ、乗れればいいなと思っていたイギリスの名車が含まれていた事です。ある評論家の言葉を若干改変して引用するならば、この車ほど、美しく加速する車はない、との事ですが、車大好き人間の至極末端に籍を連ねる私にとっても何ら否定するところはありません。

 

先代が経営する会社に中途入社で籍が与えられ、数年に渡り相応の苦労を経た先に得た成果に対して、先代は「社用車」という形で私に報いて下さいました。7年程前の話です。その際、先代は特定の金額を示された上で、その金額内で好きな車種を、といった提案をして下さったのですが、自分自身の立場でどの程度の車種が適当なのかが判らず、かつ、多大なる遠慮もありましたから、その選択を含めて全て先代にお任せをする事にしました。

3月に確定した車が示された時に、妙な縁を感じたのは、その車が、当時のテレビコマーシャルで、違う意味で気になっていた車だったからです。そのコマーシャルでは、銀色マスクのマスクドレスラーが、その勝敗は不明なのですが、試合後に当該の車を運転しながらその余韻に浸る姿を描いていました。そのマスクドレスラーがマスクを被る光景が妙に印象的で、車に対する印象は実はそうでもなかったのです。結果としてやってきたその車は、実車を見て初めて、精悍な戦車みたいでなるほど格好はいいな、と嬉しく思ったことを昨日の事のように思い出します。

ただ、正直なところ、部不相応だという思いが強く、それ以前にコンパクトなセダンが社用車として用意されるような話しがあった事と、近所の目に対する要らぬ意識も相まって、情けないことに今でも、なんというか、引くに引けない状況になっている事が、悩ましくはあります。

 

先代は私のみならず、会社に関わる全ての従業員に、同じ次元に並列して存在はしているものの、ある程度選ばれた人しか触れる事のできない世界を見せて下さる方でした。適切な表現ではないかもしれませんが、一生涯に渡り関わる事が無いであろう方々の方が恐らく多い世界です。いつしかその世界に普通にアクセスする方々に纏わる仕事にあたり前のように従事し、しかしそのあたり前は当然真理ではなくて、いつまでも続くものではないとの、漠然とした、しかしある程度は根拠に基づく不安と共に毎日を過ごす過程で、先代に重篤な疾病が発覚し、そして先代は志を中半にして高次の世界に旅立たれました。

 

先代と親族関係にない私は、今、あくまで可能な限りという限定が付きはするものの、先代の思いが恐らくは宿っているのであろう小さな法人を守る立場を、自分自身の有限な時間軸の一部に添えています。ナンバー2の気楽さとはよく言ったものですが、様々な事への対応を要する立場は、嘘偽りなく、一雇われ人だった自分には、どうにもしんどい。恐らく、経営センスというのは先天的なもので、後天的にそれを獲得するのは、大人になってから語学を習得する事に近いものがあるかもわからないです。

 

その先代の思いが宿っているのかもしれない車の点検が、まもなく終了します。

この車を手放さなくてよいように、そしてその先、いつの日か、学生時代に仰がれたイギリスの名車に乗れるような状況になるとすれば、その時にもう一度、先代は私の事を認めてくれるかもわかりません。