鉄町・田園の憂鬱的生活LOG

鉄町・田園の憂鬱的生活LOG

「こんな場所にこれほどの片田舎があることを知って、彼は先ず愕かされた……この丘つづき、空と、雑木原と、田と、畑と、雲雀との村は、実に小さな散文詩であった。」(佐藤春夫・田園の憂鬱)
そんな町で感じるあれこれ。

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最初この町の地名を見た時、なんと読むのかわからなかった。「鉄町」と書く。クルマを走らせていると信号があって、その案内板にローマ字で「KUROGANECHO」と書いてあったのでそうか「くろがねちょう」と読むのだと。
横浜市青葉区鉄町。
あまり横浜を知らない人に「横浜」というと、たいていの人は港と中華街のある横浜を想像する。「横浜に引っ越しました」と言った時、かなりの人から「海が見えて、おしゃれな町でいいですね」と言われた。しかしここは、横浜市でも青葉区という地域は、横浜市の一番北の外れで、海が無いどころか、田んぼと畑が広がる地域と、ニュータウンの住宅街が広がる、そんな地域である。

この横浜市青葉区に、数年前に引っ越してきた。

横浜市青葉区を横につっきるのは田園都市線。たまプラーザや青葉台といった街は、若干おしゃれな雰囲気があったりもする。数年前引っ越してきた街は「市ヶ尾」。町の名前だと「市ヶ尾町」だが、駅の名前だと「市が尾駅」と、なげか「ケ」と「が」の違いがある。
30代半ばまで都心で生活をしていたせいか、どうしても暮らすとなると、まず電車での移動がアタマにあり、駅から歩いて●分という場所を選んでしまう。そんなこんなで市が尾駅から歩いて数分のところで、夫婦二人だけの生活を過ごし、気が付けば30代から40代に足を踏み入れていた。

一昨年、2020年という年は、本当だったらこの国は、大変なお祭り騒ぎであったのだろう。東京オリンピックで世間が沸いていたに違いない。しかしご存じの通り、コロナがこの国を、いや世界を襲っていった。そしてその憂鬱な状況は2022年になった今も変わってはいない。

おいらはここ数年、市ヶ尾で暮らし、仕事の拠点も市ヶ尾にもってきていた。(どんな仕事をしているかは、おいおい)しかし日々、だいたいは、田園都市線にのって東京方面に出かけて仕事をしたり、あるいは小田急にのって相模原方面にいったり、横浜線に乗って「港のある」横浜へ出かけたり……早い話、市ヶ尾に、横浜市青葉区に引っ越してはきたものの、この町で過ごしている時間はほとんどなく、まぁ寝る時間はここにいる、というような生活だた。

しかし2020年、コロナが襲ってきたあとは自粛自粛。どこにも出られなく、どこにも行けなくなってしまった。市ヶ尾町のマンションの上の階の自室で、あるいは仕事場で、どちらも市が尾駅から数分のところであるが、そのわずかな距離を移動するだけの日々。パソコンで作業をして、パソコンを通じて人と話して。テレビをつければ不安なニュース、毎日ほとんど移動のない生活、なかなか晴れやかな気分にならない、憂鬱な時間が過ぎていった。

自分が罹患することないよう、回りに迷惑をかけることのないよう、そんなことを考えながら時間が過ぎていった。

少しコロナが落ち着いてきたころ、少し出歩いてみようと思い、あまりウロウロすることがなかった市ヶ尾周辺を散策するようになった。この町は、町のいたるところに公園があり、緑が多く良い町だ。日々散歩をする中で、ふと思い出したことがあった。

おいらは大学時代、文学部日本文学科に在学し、現代日本文学を専攻していた。そのころ読んだある小説を思い出したのだ。
そうだ、あの小説の舞台、市ヶ尾の近くじゃないか、と。さっそく、市ヶ尾の駅から20分ほど歩いていってみた。

……
市が尾駅から歩いて30分ほど「鉄町」。サッカーやラグビーが強い、桐蔭学園のある町である。この鉄町に、今から100年ほど前、一人の作家が引っ越してきて、ここで昭和の名作である私小説を書いている。

小説家・佐藤春夫は本郷区追分町(現在の東京都文京区)から、当時の神奈川県都筑郡中里村鉄に引越して、ここで小説『田園の憂鬱』を書いた。

「こんな場所にこれほどの片田舎があることを知って、彼は先ず愕かされた……この丘つづき、空と、雑木原と、田と、畑と、雲雀との村は、実に小さな散文詩であった。」

こののどかな場所に佐藤春夫は、無名の女優で愛人の川路歌子と、犬2匹をつれ、引越してきた。都会の生活に疲れた佐藤春夫は、この地で降りしきる雨を眺めながら、精神的な苦痛、焦燥、そして憂鬱に耐え忍んでいた。
……

横浜の北の端にある、横浜市青葉区。その青葉区のさらに北の端にある鉄町は、実際に来てみると佐藤春夫が「小さな散文詩」といった風景がまだ残っていた。田畑が広がり、小山には樹々が覆いしげり、名前のわからない鳥がのどかに空を飛んでいる。ちょっと隣の寺家町(じけちょう)まで足を踏み入れると、夏には蛍が飛ぶ里山が残っている。
そしてわずか駅から30分だけ歩いた距離で、そこは「喧騒」とは無縁の静かな空気が漂っていたのだ。

コロナの生活がいつ終わるかわからない状況の中で、東京や港の見える横浜へはいかず、横浜市青葉区で過ごす時間が確実に増えていた。
であるならば、この町で、少しゆっくり暮らせる環境を作ってみるのもいいかもしれない……

コロナ生活2年目が終わろうとしている、昨年、2021年の年末。ふとそんなことを思ってしまったのだ。ゆっくり暮らすことを考えた時、おいらには鉄町が最適だと思えたのだ。
そこでちょっと部屋探しをしてみると、古い建物だが、リニューアル仕立ての、夫婦二人で済むには手頃な感じの物件が見つかった。ならば、と。

思い立った日が吉日。2022年、年があけてすぐ、おいらは鉄町に引っ越してきた。愛人とではなく、10年以上、一緒に暮らすカミさんと二人で。犬はいない。

今、おいらは40代半ばである。ここ数年、そこそこいろいろな「立場」が出来、その「立場」で動き、「立場」で話さなければならない場面が増えてきた。せっかく暮らしをリニューアルするのだ。こっそりこんなBLOGを立ち上げて、鉄町での生活を綴りながら、言いたいことをつぶやてみるのもいいかなぁと。



『田園の憂鬱』は不思議な小説だ。この小説を通して、物語らしい物語は無い。ただただ、病んだ心の様子が綴られている。
小説の中で引用されているファウストの一節、とその一節に続く部分。

「もう大ぶお疲れが見えている。
 これがもっと続くと、陽気にお気が狂うか、
 陰気に臆病になってお果てになる。
 もう沢山だ……」
「……この言葉は彼の今の生活の批評として適切だ。適切すぎるその活字の字面を見ていると、彼はその活字が少しずつ怖ろしいような心にさえなった。」

コロナに振り回されている生活の3年目がはじまったばかりである。憂鬱な気持ちが心を覆ってしまいがちになるが、新しい生活の中で少しでもこの憂鬱を晴らしていければと。
「お気が狂うか」「お果てになる」か……ま、先のことはわからないが、とにかくこのBLOGを始めてみよう。