南相馬市 震災から1カ月
震災から一カ月以上たって、南相馬市内には未だに避難勧告区域と屋内退避区域が存在する。
避難勧告が出された南相馬南部、浪江町、双葉町などは以前と比べ、立ち入りが難しくなっている。今では福島第一原発から20キロ圏内に入るための主要道路では『立ち入り禁止』と書かれた看板と共に警視庁の検問が設置されている。20キロ圏内に入る小さい道は徐々に封鎖されているらしい。
20キロ圏内に入ることが許されているのは警察や警察に協力している地元の土木関係者、そして場合によっては20キロ圏内の住民が短時間の一時帰宅を許されている。
屋内退避区域は福島第一原発から20キロ以上・30キロ未満の場所で、南相馬市の中心部がここにはまっている。屋内退避区域では基本的に窓と扉を閉めた状態で室内に居るように言われている。外出時はマスクで口と鼻を覆い、帽子をかぶって肌の露出を最低限に抑える(長袖・長ズボン)。しかし、政府はこの屋内退避地域でも自主避難を呼びかけ、3月中旬にはこの地域から殆どの人がいなくなった。
しかし、自主避難しても避難所で待つだけ。何の進展も知らせもない状況でいつまでも待っていられない人が多い。そして結局、多くの人が南相馬へと帰って行く。
最初の頃は物資も中々届かず、店など営業していても売る商品が無い状態。南相馬宛の物資があっても、放射能を恐れて近くまで運んでくれる業者が見つからなかったらしい。今では、外部から南相馬まで物資などを運びたくない業者は相馬市まで運んで、南相馬からトラックで品物を引き取りに行くらしい。
こうやって物資も届き、店の経営者は一部の商品をわざわざ仕入れるために仙台や郡山まで仕入れるために行くこともある。これで、南相馬市も少しは過ごしやすくなり、避難していた人たちも少しずつ帰ってきている。
三月には殆ど車が走っていなかった南相馬の街も今では
そこそこ交通量が増えている。
たまには・・・
人が歩いていたり
自転車が通ることもある。
そして夜。
三月には営業している飲食店はなかったようだが、今では
徐々に増えてきている。
国の考えでは原発が治まるまでは、なるべく多くの人に避難していてもらいたいようだが、住民や避難者としては先行きが全く分からない状態で避難するよりは地元に残っていたいらしい。
私としては『残れ』とも『避難しろ』とも言えないのですが、妊婦や小さい子供がいる家庭では念のため避難を検討した方が良いのではないかと思います。









