「世間」と「社会」と「他人」について | 黒田勇樹オフィシャルブログ「Surrea StringS」

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せっかく母の誕生日なので、たまには真面目なことを

「世間」と「社会」と「他人」

同じものを指すようでまるで違う意味を持つこの言葉たち

これを、きちんと生活の中で使い分けていくことで人生が豊かになるのではないかと最近考えているので、

今、理解できている部分まで吐き出しておきます

まず、この3つが何を指す言葉なのかというと共通するのは「人間というコミュニティ」

何が違うのかというと

「世間」は「現実」

「社会」は「理想」

「他人」は「無関係」

な「人間のコミュニティ」なんではないかと

だから、社会人になるということは、理想の人間社会を目指す一員になるフェイズに入るということ

それでも実際は上手くいかなかったり甘えてしまったり、思い通りにいかないものが世間

考えるのをやめて自分の世界から排除してしまう概念が「他人」

こう考えると「世間」を作り上げ「社会」を目指している人間のコミュニティに「他人」は、存在せず

「他人」を作り上げることは「社会」に対しての「理想」の追求をやめる行為なんではないのかと


特に僕は映画とかエンターテイメントを生業にしたい人間なので

世間とも社会とも他人とも上手くやっていかなければいけない立場だと思っていて

その「最大公約数」をいつも探しています

「暴力反対でも、子供たちが喜ぶからアンパンチ」

これが、世間も社会も他人も飛び越えた「真実」に近いことなのではないかと

次の映画の構想を練りながら考えています



画像は記事と全く関係のないらくがき

立体物を描いて影をつけるのが好きです