久しぶりにアップをしたと思ったら

悲しいお知らせですみません。


年頭にご挨拶のメッセージを掲載してから、

いろいろのことがあって

記事を書けずにいました。


「ま、いいですよ。それはそれで。

いつだっていいんですから」と言っていた北くんでした。


いつも私の気持ちを第一に考えてくれる人でした。


それが本当に急な病であっという間に天に召されてしまいました。


私のマネージャーとして本格的にタッグを組んでからは5年でしたが、

それまでも長い間私をなにかと現場でフォローしてくれる役割を

してくれていました。


私のことは、私以上にわかっている人でした。


なにもかも彼に任せることができたので、

私はどんどん依頼心の塊になってしまうほどでした。

そんな私をまるで子供の面倒でもみるようにしていました。


マネージャーとしては何の修行もしたことがなかったので

見よう見まね、先輩方にたくさん助けていただきました。

そのわりに「自分なりの観点」をもって

私を実験台にしていろいろ試みてもいました。


私もそれでいいと思っていました。

「好きなようにやりたまえ」と鷹揚に構えていました。


私の目からはマネージャーという仕事は

彼の天職のように思えましたし、

彼もやっと自分の進むべき道をみつけて溌剌としていました。


自分なりのやり方で好きなように成長してほしいと思っていましたし、、

きっと私が想像する以上に大きく羽ばたいてくれるような気がしていました。

当分はその踏み石になってやろうと

内心覚悟をしてもいました。

それなのに・・、残念です。


私たちは性格が正反対でした。

お互いに足りないところを持ち合っていたせいでしょうか、

歳はずいぶんちがうのに、私は彼から学ぶこともたくさんありました。

(もちろん彼が私から学ぶことのほうが多かった筈ですが!^^)


ふつうは親しくなると、ぞんざいになるものですが、

私たちはどんどん互いを尊重しあい、

いつも「ありがとう」「気を付けて」「よろしくね」「頼みます」など

麗しい言葉が飛び交っていました。


4月の6日日曜日、

元気に成田空港に迎えに来てくれました。

家までの途中、マーケットで買い物をしてから帰りました。


地方や海外へでかけ、帰ってきたとき、

出迎えてくれている彼の笑顔をみると

いつもホッとしたものです。



「ありがとう、気を付けてね」

「黒田さんもね、ゆっくり休んで、足早くなおしてくださいよ」と。

その時なにかふと妙なニュアンスの間があったのですが、

それが最期になりました。


家のなかはどこかしこにも彼の痕跡でいっぱいです。


PCは得意でした。

家電も好きだったので、買い物や配線もお手のもの。

棚をつけたり、組み立て家具はみんな彼が仕上げてくれたものです。

倹約家でポイントカードの上手な使い方も教えてくれました。


おもえば私に尽くし、私の身の回りを整えて逝ってしまったような人です。


そんな彼の人柄や仕事ぶりを目に留め

彼には新しく素敵なポストがまっているはずでした。

私はこの時をまっていたのです。

本人も希望に燃えていました。


お悔みのメールのなかには、これから開ける人生を

意気揚々と語っていた彼の様子が伝わってきました。


しかし世の中はうごいていて私も

継続しているお仕事をしっかりやってゆかねばなりません。

それこそが彼の願いだと思うのです。


これからは折に触れて

「こういうとき、ぺーちゃんだったらどうしただろうか・・」と

迷ったときなど考えながら暮らしてゆくのだろうなと思います。

彼の「やり方」は知らないうちに私の中にも染みついています。


しかし

「ぺーちゃんがいなくなったら、どうするのか?」という問いへの回答は

私に残してくれませんでしたね。


しばらくは彼の残していったものと心の整理をつけながら

しずかに考えたいと思います。


そして彼が私に願っていた

「いつも元気でニコニコ」をモットーに

早く立ち上がりたいと思っています。


みなさん、生前のご厚情に心から感謝いたします。

いつもニコニコひとなつこい笑顔とともに

彼からの最期の伝言を伝えます。

「みなさん、ありがとうございました。

どうかお元気で!」


    合掌