みなさん、最後にあんな文章をアップしてしまったため、
ご心配をおかけしましてすみません。
ですが、こんなにも皆さんが案じてくださって嬉しかったです!

天候の都合で危ぶまれた高知空港も予定通り無事着陸。
初日の12日は全国的に前線に覆われ、
豪雨に見舞われた熊本では人命被害もあったと聞いてびっくりしました。
被害に遇われた皆様には心からお見舞い申し上げます。
どうか平常の生活を取り戻す日が一日も早く参りますように・・。

時期はずれの6月の台風といい、
ここのところの異常気象は手に負えませんね。

   ***

さて、当初、12、13日は悪天候が予想されていたにもかかわらず、
不思議と天気による支障は何もありませんでした。

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もちろん豪雨は頻々とありましたが
降り出さないうちになんとか外ロケを終えて室内に入ると、
待っていたかのように豪雨なんてことが度々。
そんなことが何度か度重なると、私たちの「強運」に
我ながら驚いてしまうような有様でした。
私、日ごろから「晴れ女」を自称してはおりましたが、
我ながらその威力(?)におそれを感じるほどでした。^^

今回のテーマは豊臣秀吉が朝鮮から連れ帰った捕虜たちのなかに
高知へ連れてこられた人たちがあり、
彼らが伝えた朝鮮伝来の食文化が
いまでも高知に色濃く残っているということを取材したものです。
一説には朝鮮の豆腐つくりの技法に惚れ込んで、
名字、帯刀そのほか、さまざまな優遇を約束して
朝鮮からおいで願った人々があったのだとか。

もちろん豆腐はそれ以前から日本でも食されていましたが、
朝鮮独特の固い豆腐は朝鮮から連れ帰った、
朴好仁一族が高知(土佐)にもたらしたのだそうです。
朴家及び、朝鮮からつれてこられた一団は、高知城のすぐ隣に
集団で暮らす地所を与えられました。
東京なら「丸の内」ともいえる場所です。
これが現在も「唐人町」という地名として残っているのです。

「唐人」というと即ち「中国人」を指すと思いがちですが、
必ずしも中国人だけを指す言葉ではありませんでした。
当時は中国、朝鮮、そのほかアジア系の外国人をみんな「唐人」と呼んだそうです。
それは私たちが白人を総称して「西洋人」というのと同じことなのだそうで・・。

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秀吉の朝鮮侵攻は「焼き物戦争」などとも言われます。
当時朝鮮ほどの焼き物技術がなかった日本では
焼き物の技術師たちも連れ帰るわけです。
それが薩摩の沈寿官家や萩焼の李家であるのですね。
これらは日韓文化史をご存知の方なら誰でもご存知の話でしょう。

ですが今回は日本に朝鮮の食文化をもたらした方々の話です。

特に土佐、現在の高知県には
当時捕虜として連れてこられた朝鮮人が残した
朝鮮の食文化が色濃く残っているというのです。

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たとえば生のニンニクスライスとともに食す「かつおのたたき」、
弾力があってとっても堅い豆腐、
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犬の皮がその起源であったと思われる「ケンピ」というサツマイモのお菓子
などなど・・・。

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昨今は誰でもニンニクたっぷりのペペロンチーノを作っていただくなんて
当たり前の世の中ですが、
私の幼少の頃、「昭和」の時代ではニンニクの臭いをプンプンさせて
公共の場行くこと自体、周囲のひんしゅくをかった時代でした。

父が「電車の中でニンニクの臭いを振り舞ている人がいて頭が痛かった」
なんぞとぼやいていた記憶が私にもあります。
いまでは私たちも普通にいただくニンニクが、
それほど毛嫌いされ、また当然のように他者へ配慮すべきだった時代は
そんなに遠い昔のことでもなかったのだと思います。

調理した「餃子」の具の中に入っている微量のニンニクにすら敏感だった日本人なのに、
「かつおのかたき」は加熱しない生のニンニクスライスを添えて食べるのですから、
当時の日本人の常識からはひどくかけ離れていたことでしょう。
今回の番組は当時の食文化を紐解きながら、
「文禄・慶長の役」のときに、大量に日本に入ってきた朝鮮文化を
ふりかえってみるという面白い番組です。


当時朝鮮から連れてこられたの豆腐職人の末裔である「秋月家」(朴家)の皆さん、
また文献を頼りに当時の豆腐を再現した
高知では随一のシェアを誇る豆腐メーカー「タナカショク」の社長の情熱、
ロケをお手伝いいただいた高知県観光課 中西さん、
コーディネイターとして奔走してくれた玉姫さん、
そして日韓食文化の交流を通して、日韓相互理解を願う、
尊敬する尹PD。

今回のロケはそんなすばらしい皆さんとの出会いに満ち、
お訪ねするところどころに感動体験があって
本当に楽しいロケだったのです。

ですが失敗も沢山!

いつものことですが、スタッフとは韓国語で、
取材先の皆さんには日本語で話しているのですが、
そのうち、自分のなかで混乱が生じ、
いざ撮影の段にも日本の方に韓国語で語りかけてしまっていることに
まるっきり自覚のない私・・・。

カメラマンのチャンさんから小さな声で、
「先生(と私を呼ぶ)、あの、いま韓国語でお話ですよ・・・」
と注意を受けること度々。

頭のなかが本当にごちゃごちゃになるんですよ~~。
特に相手の気持ちをそらさないように、
いい感じの「ノリ」を捕まえて話しているつもりが、
私の言葉が韓国語だったりして・・・。 NG! ^^
ホント、失敗も沢山ありました。

ですが、高知の皆さんの暖かい心、
優しいホスピタリティに支えられて、すばらしい成果のあった撮影でした。
それは尹PDが一番感じていたことでしょう。
尹PDの夢はこれをシリーズ化させてゆくこと。

日韓のように近い国は古代より様々な交流があり、
その影響はお互いの国に残っているのが当たり前。

私たちがいま、「当然わが国の文化」と思っていることでも
実は往時の国際交流を背景にさまざまな国の文化が混合しているのです。

アジアはそんな一塊なのでしょう。
今回の番組は私たちアジア人はそれぞれに交流し、
英知を分かち合いながら発展してきたことを実証する
麗しい番組になることだと思います。


これからはアジアの私たちが手を取り合って
平和で豊かな時代を築きたいものです。

本日はこれくらいにして、続きはまた明日・・・。^^