『大往生したけりゃ 医療とかかわるな』
 (中村仁一著 幻冬舎新書)
をご存知だろうか?

今年一月に発行になって現在50万部のベストセラーになっている。

黒田福美オフィシャルブログ「黒田福美  kuroda fukumi」Powered by Ameba-中村先生の著書



以前にもご紹介したことがあるが、
座禅会でお知り合いになった看護士でもあり介護士でもある
醤野さんという女性が、三鷹で二ヶ月に一度、
様々な分野の方々を招いて
なかなか口に出しては言い難い
親や自分自身の死に際してどうあるべきかを考える勉強会を
開いてくださっている。

実際の医療や介護の現場で感じる矛盾や問題が
醤野さんをつきうごかし、
このような会を主催する原動力たらしめたのだろう。
この会も今回で27回目を数えた。

この集いは朝日新聞でも紹介されたようで、
今回は立ち見が出るほど沢山のお客様がおいでだった。
一見手あついように見える延命治療の数々が
今、疑問視されているようだ。
無駄な延命はしてほしくないと思う方々が多いのだろう。
また延命治療を望むのは本人より家族であるという。
 
中村先生の言葉を借りれば
「胃ろう」(腹部に穴をあけ胃に直接栄養を送ること)を施すかどうか
家族が迷っているとき、多くの医者が
「生きられる命を見捨てるのか」
「また口から食べられるようになる」
と「脅迫」して胃ろうをつけさせるという。
だが近年その胃ろうを医師の二割が止める方向にあるというのだ。

しかし、延命治療のない死が苦しい死であっては怖い。
果たして自然死とはどういうものなのか、
おいでになった多くの方々が

その「本当のところ」を知りたかったのではないだろうか。

今回は冒頭に紹介した本の著者、中村先生のご講演であった。
先生は京都大学医学部を卒業なさって
「医局に属さない野良犬のような医師」(ご本人の弁)生活をなさったのち、
現在は2002年から特別養護老人ホームの所長であり医師である。

現代は医師でさえ「自然死」を見る機会がないという。
つまり現代の死は病院で最後までさまざまな医療をほどこされながら
不自然な死をとげているからだという。

先生ご自身も現在のホームで入所者の死を看取るなか
はじめて「自然死」を見、体験したのだという。
そんな体験から
いかに医療にまみれた死が苦しみに満ちており、
自然に食べられなくなり、
水さえほしがらなくなり、
まどろみのなかでなくなることが
苦痛がなく、安らかな死であることかを医学的見地から説いている。

冒頭、まず
人間は「繁殖期」(およそ定年くらいの年とおっしゃっていました)を過ぎたら
老いや病があるのは自然なことなのでどちらにも
抗わないでうまく付き合ってゆくべき。
医療は老いや死に打ち勝つことはできず、
本人の持つ回復力の手助けをするのみなのだとおっしゃる。

むしろ「賞味期限」「繁殖期」をすぎたら
いつ死んでもよい覚悟で日々を生きるのだと。

検査や人間ドッグも意味が無い。
あったとしても「当日かぎり」の信頼性しかない。
老いればどこかに数値的な異常があって当然。無いほうが異常。
自覚症状もないことに施す医療はナンセンスだという。

医者はさまざまな守れないようなアドバイスをするが
それを実行できないことのストレスのほうがよほど体に悪いとおっしゃる。

実は私も子供のころから体が弱かったのだが、
そんな体験から心が病を作り出していることにうすうす気がついた。

そしてあるときから「テキトー」を心がけている。

「よくわからない」という医者を結構「いいかも」と思った。


「自分の体の声に耳を傾けよ」と先生。
薬や医療もその人本来が持っている
自然治癒力を助けるものでしかないというのもうなずける。

90分の講演ののち、会場からさまざまな質問や意見があった。

ご主人を肝臓がんで送った奥様。
日ごろから延命治療は一切したくないということで
腹水を3度ほどとっただけで家で安らかにすごしていたご主人だったが
いよいよ最後というときに病院に入院させたところ
チューブや点滴につながれ、本人も苦しみだしたという経験談は
説得力があった。

また二十代の若い女性が胃ろうをつけてしまった59歳の父を
胃ろうをつけたことで起こる硬縮(体の変形)をもたらせることなく
安らかに看取るにはどうしたらよいか、という悩みも
涙ながらに打ち明けられた。
一度つけたものはなかなかはずしてもらえないらしいが、
醤野さんの「患者側が本気で訴えると医師も変わる」という
現場からの話もあった。

また「血液のがん」と12年を共にしているという70歳の方からは
「抗がん剤を服用すると体調が悪化するが数値はよくなる。
金銭的な負担も大きく、抗がん剤治療による肉体的負担も大きい。
どう考えるべきか」という質問に、
先生の答えは
「抗がん剤は猛毒であり、数値は抑えるが体へのダメージも大きい。
またそれは一時抑えるもので根治ではない。
処方箋は医者が持つが、副作用は患者持ち、正直にいえば
担当医にとって一人の患者は何百分の一でどうでもよいと思っているが
患者の側はすべてを医者にかけている。
ご自身の考え方次第」

この質問には聞いている私たちも本当に
難しい問題だと思った。
その方がいかにもお元気そうでしっかりした口調でお話になるのだから・・。

こんなに普通人とかわらないようでも
抗がん剤をやめれば命を仕舞うことになるとは・・。


今回の講演の最後を先生はこんな言葉で閉めた。
「繁殖期を過ぎた者の人生にも、まだまだ大切な仕事がのこっている。
それは続く世代に安らかな死を見せてやること」

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     *****
歯に衣着せない先生の言葉は辛らつでありながらも信頼を感じました。
きれいごとだけでは済まされないのだと思います。

本当に今回は講演もさることながら、質問も充実していて
考えることの多い集いでありました。
まず感じたのは自然死は恐ろしいことではないとわかりました。
先生は「介護や医療が過剰に入った死のほうが苦しく非人道的であり、
野垂れ死にや孤独死こそが最高の死に方」とおっしゃっています。
なんだか安心しました。

私はまずは母をどう送るかということを考えています。
(私が先かもしれませんがね)
日ごろから延命治療はいらないと申していますが、
やはりその場になったら、
未練がつのるかもしれないと思っていました。
しかし、先生のお話を聞いて、
本人を苦しめないのが一番なのだと思いました。

そうおもったところで人間の心は短兵急に解決がつきません。
こうして日々、そのことを考え、迷い、学びながら
心を決めてゆくものなのかなと思いました。