私が韓国に関心を持つようになったのは、
いろいろな要因があるように思います。

それは、またの機会にするとして・・・


私が韓国語を学ぼうとおもった時、偶然にも翌年の
84年4月からNHKで
「アンニョンハシムニカ ハングル講座」がはじまりました。


とにかく「自らを促成栽培するのだ!」と心に決めていた私は、
進度の速いラジオ講座を選び、学習し始めます。

私の韓国語はまさにNHKのハングル講座で培われました。
ほとんどが独学です。


この時すでに草の根交流のような小さなことからでよいから、
「日韓の架け橋になるんだ」と心に決めておりました。


しかし当時は今のように韓流もなければ、W杯共催もない。
日本では韓国の素顔を知る機会など全くないような時代でした。


けれども妙な差別や偏見は根強くはびこっていたのです。

私が韓国に興味を持って学びはじめると、周囲は
「あなたも在日だと誤解されるからやめたほうがいい」
という忠告まで受ける有様でした。


無理解と逆風のなかで、私は孤独でした。
当時はこんなに日韓友好の時代が訪れることなど想像もできなかったし、
自分自身、今のように

さまざまな活躍の場をいただけるとは想像もしていませんでしたから・・。


こんなことをしているとはやり当時から、
「黒田は在日なのか?」という疑問を持たれたようです。

本人には聞けないものだから、みなさん
マネージャーや友人に聞いてくるのです。


こんなことが度重なるうちに、私の反骨精神が頭をもたげました。
「おかしいじゃないか!
英語やドイツ語、フランス語を習っても、
日本人の語学学習だと思うくせに、
なんで韓国語を習えば、在日だと思うんだ!」


以来私は、
「自分は日本人だ、とことさら言わない」と、心に決めました。


日本人だけれど韓国語を勉強しているの」
とあえて言うことは、
在日であると誤解されるのをイヤだと思っている、

そんな風にも思われたくもない。
そんなこと、どうでもいいことじゃないかと・・。

かくして、自ら日本人であるということをあえて言わないことにした私は、
いろいろに詮索される結果になったのでありました。^^


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こんな時代のことを『ソウル マイハート』という本にしました。
今振り返ってみると、なにをそんなに・・と思うほど
尖がっていましたね。お恥ずかしい・・。^^