初日が終り、とりあえず寝るところを探して市内をさまよう。

水前寺公園の前にあるスーパーの駐車場に停めて仮眠。

私の車は荷物満載でシートを倒せないので姿勢正しく座って就寝。
大部ちゃんのトラックはシートが平らではないのでこんな感じ。



それでも疲れているのでお互い5時間ぐらい熟睡。

朝8時におきて出発。

今日は今回最大の被災地。益城町役場だ。

今回の支援にあたって高速道路通行許可証の発行が難しく、それは高速道路が無料になるので不正使用が増え、法人や大きな会社しか認められなくなってしまっていた。

しかし、救世主現る。

神戸1・17希望の灯りという毎年1月17日早朝に神戸東遊園で行われるロウソクで文字をかたどった慰霊祭を主管している藤本代表のご好意で益城町からの支援要請という事で発行してもらえた。
本当に助かった。藤本代表ありがとうございました。

そんないきさつもあったのだが、やはりここは必ず行かなければ行けなかったところだ。

市内からさほど時間もかからなかったが、やはりここは被害がひどく、役場が崩壊していて敷地内の駐車場で物資の配給などを行っていた。










忙しい中責任者の方に到着報告と我々の活動内容を報告し、炊き出しの要望のある避難所を指示してもらった。

そこは少し離れたところにある。広安西小学校。




ここに着いたのは9時過ぎ。さっそく段取りにかかり焼肉、カラカラ鍋の準備に。

っと思ったらやはり一番はこれだったようだ。



持って行った大型の焼き台2台と大きいカラカラ鍋をつくる寸胴が煙と湯気を上げてみんなを待つ。







この日は雨予報が出ていたのだが、準備の最中に振り出した。
どうするべきか?考えていると隣で自衛隊が昼食の炊き出しをしている中、「テントがあったほうがいいでしょう」とみんなで担いで持ってきてくれた。



福岡航空基地の皆さん。ありがとうございました。その後も気を使ってくれて度々覗いては困ってませんかと声をかけてくれた。

自衛隊は国民の守り神!最大の救援者だと言うことを皆さんお知りおきください。

あっ!昨日の炊き出し場所を支援していたのは、わが日本拳法の仲間が多く居る「伊丹千僧駐屯地」の皆さんでした。こんなところで出会えるなんて思いもよらず、同じ県民として誇りに思う一幕でした。

そして準備も整い、自衛隊の炊き出しと歩調を合わせることになり時間は11時。



最初は何かなと?遠巻きに見ている人達に、神戸から来たカラカラ鍋と焼肉です!と声をかけた。

肉を食べさせてくれるのか?地震以来食べたこと無いぞ!と興奮気味の皆さんに食べたいだけ持っていってもらう。この日は600人分を用意したので充分に食べてもらえる・・・はずだった(;;)

大人も子供ももちろん幼稚園の子供もみんな肉は好きなんだそうで、特に子供はカップ一杯にいれてくれる?と言ってくれる。まかしとけ!なんぼでも焼いてやるぞ!と言ったものの今日は二人でやっている。他のメンバーは帰ってしまい昨日来てくれた地元の知り合いも今日は連絡が取れない。

大部ちゃんは焼きと鍋を掛け持ち。私は焼きに専念。

3時に終わるまでこんな状態だ。




皆さんたくさん並んで頂いたのだが2時を回るころに最後尾の人数を照らし合わせると肉の在庫が乏しくなってきた。

まさかこんな大人数の人達が来るとは・・・。

大人も子供も好きなだけ入れて渡していたが、子供だけとお願いした。
大人たちも快く受け入れてくれてありがたかった。

しかし、やはり多数の人に食べてもらうことが出来なかった。
幸い、鍋のほうが足りていてそれで我慢してもらった。

その後に来てくれた人にはもう出汁しか残っておらず、急遽自衛隊からおにぎりをもらってきて雑炊。これがまた出汁を吸って意外と美味く、なにか
¥になると手ごたえを感じた大部ちゃんだった(--)





そして何もかも無くなり車にある物資の仕分けをしていると、この避難所にボランティア活動に来ている「熊本第二高校サッカー部」の生徒さんがいたので鍋の底にこびりついた雑炊を食べてもらった。これも美味かった。
今回もっていった物資の中には子供に渡すお菓子もあり、彼らに託して配ってもらうことに。

そして私の女子高生の姪っ子が女子生徒達が無いといってると聞いたんで持って言ってくれと頼まれた文具やハンカチなど、私達では思いも付かないものを預かった。

それも彼らに女子に頼んでくれよ。とお願いした。



撤収作業も終り学校の中を見せてもらってたら、小学生の女の子達が欲しい人いいませんか?とさっそく渡したものが並んでいてうれしかったニコニコ
お菓子も並んでいる。





そして、いつも被災地に行くと渡してくる「はるかのヒマワリの種」だ。

これは阪神大震災の悲しい逸話があり、私のすぐ近所で亡くなった女の子が育てていたヒマワリが死後に咲いたものを親御さんが思い出に育てて種を配ったのがはじまりだ。

今では世界中に咲いていて、皇居のお庭にも咲いている。

東北に行った時もすでに咲いていた。

これも熊本第二サッカー部の彼に託した。



皆さんから預かって持っていった物資や食材もすべて無くなった。

私が持っていった物資も少し残っていたが、これは空振り。持って帰ろう。

なんせ今日は2人だったので他に何も出来ず、4時間休憩なしで炎に炙られてたわけで。

右手は骨まで熱を持っていてむくんでる叫び

まったく水も飲めずなんかの修行の場のようだ。

ようやく水を飲もうとしたら、「大部ちゃんが水無いんです!」

何で持って無いのや。我々はすべて自己責任で用意しろと言ってあっただろ!

そこの水道から水出てるやないの?

これです。こんなん飲めません!っとコップに入れてきたものは、茶色くにごった水道水。

ここもまだ水が無いのだ。隣で自衛隊が給水を行っているが、我々は絶対に頼るわけには行かない。それが自己責任のボランティア魂!

でもしかたない(;;)私の貴重な1本しかないのを渡した。

前回東北水害の現場で活躍できなかった彼だが、今回は絶対必要不可欠な役目を果たしてくれたので特別だ。




美味そうに飲んでおります。私の分がしょぼん
この男!



雨も降り出し、もうする事も無い。

被災した家屋なども雨のために手を出すことが出来ない。

まだまだ残ってやりたいことはあったがタイムリミットが近くなり少し早いが帰路に付くことにした。

途中、40年前に食べて思い出に残る熊本ラーメンだけは食べて帰ろうと思い、高速道路の入り口までにあれば入ろうと走っていたが、残念ながら植木インターまで18キロの間に無かったので食べれずだ。
実は熊本入りしてから食事はしておらず、高速乗って初めて食べたのがこれだ。


日本中どこでも同じ味の牛肉専門店だべーっだ!

やっとありついた飯だったが、高速道路で走っていると眠気が襲ってきたこともあり、休み休みで帰ってきた。

一方のあの男は全速力で九州、山陽の高速を駆け抜け早々の帰神となったらしい。


先に帰ったメンバーも無事に着いてるようでなによりだ。

今回の支援活動について多大なご協力を頂いた皆様。

全員の方にまだお礼が出来ておりませんが、ここで一度お礼申し上げます。
 


これからもさらにパワーアップした支援が出来るよう協議しております。

本当にありがとうございました。

熊本の皆さん、暖かく迎えて頂いて感謝します。

また行きますのでお会いできるのが楽しみです。