どーこだw たつどしのはなびw

今日は、毎月17日は、いなり寿司の日
愛知県豊川市観光協会が制定。
市役所内でのブランド研究会
の提言を受ける形で、
いなり寿司の発祥の地
のひとつともされている
豊川市において
ブランド化を目指す。

いなり寿司の始まりと稲荷神社
いなり寿司の由来は諸説あるものの、
お稲荷さんにお供えしてあった
油揚げの中に米(酢飯)を詰めて、
寿司にしたのが始まりだそうです。

稲荷神の使いであるキツネの
好物である油揚げに米を詰めた
いなり寿司が初午に奉納された
ことから、初午に「いなり寿司」
を食べるようになったとも
いわれています。

いなり寿司(三角形)
ちなみに、2月11日は、
全日本いなり寿司協会によって
「初午いなりの日」として
登録されています。

初午の日に「いなり寿司」を
食べると福を招くのだとか。
なお、いなり寿司の形は
東西で異なり、関東地方では
米俵に見立てた「長方形型」、
関西では狐の耳に似せた
「三角形型」が主流です。

 

いなり寿司の歴史は、
古く江戸時代にまで遡ります。

江戸時代末期に、江戸時代後期
の三都(江戸・京都・大阪)の風俗、
事物を説明した一種の類書として
書かれた『守貞謾稿』に
初めていなり寿司が登場しました。
当時から安価で美味しく、
庶民に愛される味で、
手軽な食べ物として
人気を博しました。

​また嘉永5年(1852年)発行の
「近江商買狂歌合」には、

いなり寿司を売る商人の姿が
描かれており、ざるや木桶、
木箱、カゴを前後に取り付けた
天秤棒を振り担いで売る
「振売(ふりうり)」という
スタイルで売られていました。
その後、幕末になると
店舗でいなり寿司を売る店も現れ、
大いに繁盛した
と言われています。

そもそも、いなり寿司がなぜ
「いなり寿司」と呼ばれるように
なったのか、
明確な由来は未だ分かっていません。

いなり寿司研究の第一人者で、
清水すしミュージアム名誉館長
の日比野光敏氏によると、
稲荷神社の主神は
「宇迦之御魂神(うかのみたま)」
という五穀豊穣の神様で、
別名を「御饌津神(みけつのかみ)」
と言いました。
そこに狐の古い呼び方である
「けつ」が重なり「三狐神」
と解されるようになり、
そこから宇迦之御魂の使いは
狐とされ、稲荷と狐の関係が
生まれたと言われています。

また、狐自体も穀物を
食べるネズミを捕食することや、
尾の形や色が実った稲穂に
似ているところから、
古く平安時代から動物を
神の使いとする信仰の対象であり、
そこに稲荷信仰が習合し、
江戸時代になって稲荷神が
商売繁盛の神と
もてはやされるようになり、
今日へと続く信仰が
生まれたと考えられています。

稲荷信仰の総本宮である
京都の「伏見稲荷大社」には、
稲荷の由来として
次のような物語があります。

奈良時代の
「山城国風土記逸文伊奈利社条」
によると、
「秦氏の祖先である
伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)
が自らの豊かさを奢り、
餅を的にして弓を射ようとしたところ、
その餅が白い鳥に化して
山頂へ飛び去り、
そこに稲が生ったので
(伊弥奈利生ひき)、
それが社の名となった」とあります。
その山は、元々伊奈利山と
呼ばれており、この由来から
「稲生」、「稲荷」へと
転じたと考えられています。
いまなお学術的な研究が
続いている稲荷神社といなり寿司。
諸説ありますが、
稲荷神社が庶民の厚い信仰
の対象であり、
いなり寿司も多くの人々に愛され、
食されてきたことには変わりません。
私たち全日本いなり寿司協会では、
生活に根付いた文化と風習を尊重し、
現代を生きる多くの人たちに
いなり寿司の魅力を
伝えてまいります。

 

前は、材料仕入れから、

手作りで良く作って来ましゅたが、

最近は、税込み215円で稲荷ずしモドキを、

近所のお店で売り出したので、

此れを買う様になりましゅたw

味は、昔ながらの味で気に入りましゅたw

今じゃお店の言いなーりw