どーこだw うごけないでしゅw

今日は、6月11日は『梅の日』
紀州田辺うめ振興協議会が制定。
梅干や梅酒、梅ジュースなどで
みんなが健康で元気に夏を
乗り切れることを願って。
日付は、室町時代の天文14年4月17日、
京都・賀茂神社の例祭・葵祭で
後奈良天皇が神事をされた際に
梅が献上されたという故事にちなんで。

古代から菓子や薬、時には縁起物として
重宝されるだけでなく、
歌にも詠まれ、親しまれてきた梅は、
日本の歴史や文化に深く
寄り添ってきました。

梅の起源
梅は中国原産の花木で、
2000年前に書かれた中国最古の
薬物学書『神農本草経』には、
すでに梅の効用が説かれていました。
梅が日本に伝来したのは、3世紀の終わり頃。
百済(くだら)の帰化人・王仁(わに)が
もたらしたとする説や、
欽明天皇(531年即位)の大和時代に、
中国・呉の高僧がもたらした
という説があります。
日本の文献に「梅」という文字が
最初に現れるのは、
日本最初の漢詩集といわれる
『懐風藻(かいふうそう)』
(751年)におさめられている、
葛野王(かどののおおきみ)の
「春日翫鶯梅」と題する五言詩です。
また、日本最古の歌集『万葉集』にも、
梅を題材とした和歌が数多くあります。
このように中国から日本に伝来した梅は、
珍しさもあり多くの人たちに愛されました。
しかし、梅が重宝されたのは、
その花の美しさだけではありません。
古代から梅の実にさまざまな
効能のあることが知られており、
そのため人々から広く利用されたのです。

奈良時代~鎌倉時代
梅の実梅の実は奈良時代には
すでに柿・桃・梨・あんずなどと
同様に生菓子に加工して
食べていたようです。そして、
時代を経るに従って梅の効用を
体験的に知るようになり、
梅の塩漬けを保存食、食薬品として
用いるようになりました。

梅干しの原型ともいえる
梅の塩漬けが「梅干し」として
初めて書物に現れるのは平安時代中期です。

また、村上天皇(在位946〜967年)
が疫病にかかったとき、
梅干しと昆布を入れたお茶を飲んで
回復されたという記録もあり、
これが元旦に飲む縁起物として
今に受け継がれている「大福茶」
の起源とされています。
この年が申年であったことから、
以来、申年の梅干しは特別なもの
として珍重されるようになりました。

鎌倉時代の『世俗立要集』
という文献には、

「梅干ハ僧家ノ肴」と書かれています。
つまり、梅干しはお坊さんの
酒のさかなとして利用されて
いたわけです。
この風潮はやがて、武家の食膳にも広がり、
武士の出陣の際には、縁起をかついで
必ず梅干しを食べたといいます。

戦国時代
戦国時代になると梅の効用は
ますます認められ、
兵糧食として用いられた
梅干しは軽くてかさばらず、
日もちもよいので、
大変重宝されました。
また、兵士が戦場で思う存分
働いても疲れることなく、
かつ栄養を補給でき、
しかも軽くてかさばらない、
そんな理想の兵粮食を求めて
各藩が熱心に研究した食べ物が
兵糧丸」です。
この兵糧丸にも梅干しが
使われていました。たとえば、
甲州流秘書にある「忍術兵糧丸」は、
寒ざらしの米、蕎麦粉、かつお節、
鰻の白干、梅干しの果肉、
赤松の木肌を混ぜてつくったものです。

江戸時代
江戸時代に入ると、貴族や武士だけでなく、
庶民の食卓にも梅干しが
のぼるようになりました。
江戸中期には、町なかでも加工品
としての梅干しが売られるようになり、
梅干し売りが声をあげながら町を歩く姿は、
冬の始まりを告げる風物詩となって
いたようです。また、
梅干しの紫蘇漬けが普及し始めた
のもこの頃で、ほかにも梅を砂糖漬けにした
甘露梅など、多くの梅の漬け方が
この時代に生まれました。
また同じ頃、本草学の発展と普及に伴い、
梅の効用が広く知られるようになりました。
本草学においては、
梅の花・実・葉・枝・根すべてに
効用があると述べられています。

さらに、江戸末期には現在の梅肉エキス
の原型が考案され、
『諸国古伝秘方』
(1817年)という日本各地にあった
健康法の口伝を記した文献に
その作り方が記されていることから、
梅が当時から人々の暮らしに
欠かせない存在であったことがわかります。

明治時代〜
昭和・平成時代

明治維新を境に梅の健康効果に
対する関心は一時途絶えます。
文明開化と称し西欧の知識が
もてはやされ、江戸時代のものは
旧弊とされたためです。
その後、明治から大正にかけて起こった
日清・日露戦争や第一次世界大戦では、
梅干しが重要な兵糧食として採用され、
増加する梅の需要に合わせて、
和歌山県をはじめ、
全国各地に梅林が広がりました。
しかし、第二次世界大戦中は
サツマイモ栽培が奨励され、
梅の生産量は激減。戦後、
日本の復興発展とともに梅の効用が
再評価されると、
梅の栽培も再び盛んになり、
梅を使ったさまざまな食品も
登場してきました。
その中で我々は、1978年(昭和53年)に、
未知なる梅の効用についての研究や啓発、
普及活動を発展させるため
財団法人梅研究会を設立しました。

平成の時代、特に2000年代前半には
盛んに梅や梅肉エキスの健康効用に関する
研究が行われ、着々と学会報告や論文が
蓄積されてきています。


令和時代
「令和」という、この新元号にも、
実は梅が大きく関係しています。

「令和」の由来となったのは
「万葉集」にある歌人・大伴旅人による歌
の序文からです。
「時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、
梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、
蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」。

この歌より二文字を取り
「令和」が生まれました。

歌の意味は、初春の素晴らしい月にして、
風も春の陽気のように穏やかに、
梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、
蘭は身を飾った香のように薫っている。

咲き誇る梅が告げる春の訪れのような、
明るく期待に満ちた歌から誕生した
「令和」には、一人ひとりの日本人が、
明日への希望を胸に、
それぞれの花を見事に咲かせることができる。
そういう日本でありたいという
願いが込められているのです。

 

基本の梅干し作りでしゅw

材料
完熟梅      1kg
塩        180g
ホワイトリカー  20cc
保存容器     1つ
落とし蓋     1つ
重し(梅の2倍の重さ)1つ
竹串       1本
キッチンペーパー 適量

下準備
保存容器を洗い熱湯消毒する

作り方
1.梅のヘタを取る
 竹串で梅のヘタを取ります。
 完熟梅はやわらかいので、
 傷付けないようにやさしく
 おこなってください。
2.梅を洗って水気を拭く
 水をはったボウルに梅を入れて、
 やさしく洗います。
 ザルにあげ、梅をキッチンペーパーで
 丁寧に拭きます。
 ヘタを取ったあとの凹みも
 きれいに拭きましょう。
 このとき、傷が付いた梅や傷んでいる
 梅は取り除きます。
 水気をきれいに拭いたら、
 キッチンペーパーを敷いた
 ザルにおいて乾かします。
3.容器を消毒する
 梅干しを漬ける保存容器に
 ホワイトリカーを入れます。
 蓋をして振り、ホワイトリカーが
 全体に行き渡るようにしましょう。
 蓋にもしっかり馴染ませ、
 余ったホワイトリカーは捨てて、
 容器を乾かしておきます。
4.漬ける
 容器の底全体に梅用の塩を軽く振ります。
 塩の上に梅を並べます。
 さらに上から塩を振ります。
 梅を並べて塩を振る作業を繰り返します。
 一番上に塩を振り、落とし蓋をして
 梅の重量の2倍の重しをおきます。
 重しがない場合は、缶詰や瓶詰め、
 ペットボトルなどで代用します。
 ボウルに缶詰や瓶詰めなどを入れて
 落とし蓋の上におきましょう。
 このとき、使うボウルもきれいに
 洗い消毒しておきましょう。
5.蓋をして冷暗所におく
 蓋をして冷暗所におきます。
 梅酢が上がるまで5〜7日ほどかかります。
 毎日1回梅酢が全体に行き渡るように
 保存容器を揺らします。
 梅を梅酢に浸すことで、
 カビが発生しにくくなります。
 梅酢が梅全体にまで上がってきたら、
 梅を潰さないために重しの重量を
 1/2程度に軽くし、そのまま漬け込みます。
 漬け込んで1ヶ月ほど経ったら食べられます。
 梅酢ごと煮沸消毒した保存瓶に移します。
 梅酢に漬けたまま冷暗所においておけば、
 常温で1年以上保存可能です。
 漬け込み期間が長くなるほど、
 味わいがまろやかになります。
6.天日干しする
 お好みで天日干ししてもよいです。
 梅雨が明けたら、晴天が続く日を選び
 梅干しを天日干しします。
 梅干しは、大きめのザルに間隔をあけて
 並べ2〜3日干します。日中は天日干しして
 途中で裏返し、夕方には室内に
 取り込んでください。
 だんだんシワが寄ってきて、
 摘んでみて果肉が皮から離れるような
 感触になればOKです。
7.できあがり
 煮沸消毒した保存瓶に移して保存します。
 保存する際は、梅酢と共に保存瓶に入れたり、
 干したものをそのまま保存瓶に入れたりして
 冷暗所におきます。
 梅酢に浸して保存したほうが、
 乾燥せずしっとりとした状態で
 保存ができます。常温で1年以上保存可能。

 

 チャレンジしゅてみてくだしゃいw